組織の中で仕事をしていると、「〇〇は仕事ができない」といった類の話を耳にする。
これは、必ずどんな組織にも存在している。
仕事ができないの基準がわからない
そもそも、仕事ができないということを何を基準にして言っているのかがよくわからない。
例えば、営業職で完全に営業成績だけで評価するというのであれば、仕事ができない人というのは、営業成績が悪く、売り上げを上げられない人ということになるであろう。
しかし、営業成績は良くはないが、並みの範疇に収まるような人であっても、仕事ができないと言われている人がいる。
また、事務系職種等で数字がでない職種もたくさんある。
そういう職種であっても、仕事ができないと言われる人は必ず存在する。
全てが完全に一致する仕事内容で、作業量が少ないとか作業スピードが遅いということであれば、仕事ができないということもできるかもしれないが、全てが完全に一致する仕事をわざわざ2人以上同時することなんてあるわけがないので比較のしようがない。
そもそも、作業量や作業スピードが人並みでも仕事ができないと言われる人もいる。
つまり、実際の仕事の実力と、仕事ができないと言われる人が必ずしも一致しない場合も多いのである。
そもそも、我々が行っている仕事に、できるできないが明確になるような大した仕事なんてない(決して、仕事をなめているわけではない)。
それなりに頑張れば、誰でもそれなりにできるようになる仕事がほとんどだ。
にも関わらず、人のことを「仕事ができない」などと、言っている輩には身の程を知れと言いたくなってしまう。
仕事ができないと言われる理由
全ては「関係性構築力」に依存していると言える(関係性構築力については、「学校は社会の縮図」を参照ください)。
関係性構築力が低い者は、仕事はそつなくできていても、仕事ができないと言われる場合が多い。逆に関係性構築力が高い者は、実際には人並み程度にしか仕事ができていなくても、仕事ができないと言われることは稀で、仕事ができると評されていることも少なくない。
関係性構築力の高いものが、(意識的か無意識的かは不明だが)下方比較や個人的感情(嫌いとか排除したいといった感情)、貶めたいという願望等から、「〇〇は仕事ができない」と発することで、下方比較の連鎖が起こり、「〇〇は仕事ができない」というレッテルが貼られ、組織内の周知の事実とされてしまい、仕事ができないというレッテルを貼られた〇〇は組織内カーストの最下層への追いやられてしまう。
また、日本(日本だけかどうかは知らないが)には組織内に共通の敵を作って、他の結束を図るという文化もある。関係性構築力が低い人は、この共通の敵にされやすい。
いずれにせよ、実際の職務能力とは関係なしに、仕事ができないということが事実とされてしまうのだ。
組織内において、「仕事ができない」というのは、悪口の延長でしかなく、真っ当な評価を伴っているケースは多くはない。
いい大人が、あからさまに悪口を言っていては、他者に受け入れられ難く、悪口を言った本人の立場が悪くなる可能性があるため、「仕事ができない」という表現を使うのだ。
もっともらし理由を並べ、客観的に仕事ができないと評しているのだとし、悪口ではなく評価だと置き換えることで、自分を守り、他者にも受け入れられやすい形にしているだけだ。
本質的には、子供じみた悪口と何ら変わりない場合も多い。
仕事ができない人認定することの弊害
仕事ができないと認定された人に起こるのは委縮だ。
・周囲の目ばかりを気にして、本来の能力が発揮できなくなる
・非難されないようにと判断力が衰える、自分で判断することを止め指示待ちになってしまう
・モチベーションが下がる
・わからないことを聞けなくなってしまう
・心を病む
等々、上げるときりがない。
これは、人を潰す行為でしかない。
組織には何のメリットもない。
にもかかわらず、なぜ、こうも人を否定し非難することが好きな人が多いのか、甚だ疑問である。”あなたは仕事ができないとい”うよりは、”あなたのここは素晴らしい”といって、良いところを褒めて伸ばすほうが、より組織に貢献してくれると思うのだがいかがだろうか。
こういった「仕事ができない人」などと言って、他者を潰す行為が蔓延しているからこそ、ニートや引きこもりといった人ができるのではないだろうか。
ニートや引きこもりの人は、恐らく、ほとんどが関係性構築力が低い人たちだろう。
仕事をさせれば、それなりに仕事をやってくれる人もいることと思う。
関係性構築力が低いというだけで排除するのではなく、そういった人たちが能力を発揮できる環境を作ってみるのも悪くないかもしれない。
管理職と言われる立場の人間が、自分の部下に対して、他の部下とともに「〇〇は仕事ができない」とやっている場合もある。普通に考えて、仕事ができない部下なんて、組織にとっては負債でしかないのだから、管理職は仕事ができない部下など作ってはいけないのだ。
本当に仕事ができないのなら、きちんと仕事ができるように指導すればいいし、それでも改善が見込めなければ、リスクを伴おうが何だろうが、クビにすればいいだけの話だ。
そのほうが、組織のためだし、仕事ができないと言われている人のためでもある。
クビにしないのは、クビにするだけの真っ当な根拠がないからであろう。
にも関わらず、「仕事ができない」とやっている管理職を見ると、本当に馬鹿な管理職がいるものだなと思う。
仕事ができない人にされてしまったら…
一度、仕事ができない人と認定されてしまうと、そこから自分の立場を改善するのは難しい。
いくら仕事を頑張ろうと、「仕事ができない」という評価は、実際の職務能力には関係しないのだから、徒労に終わる場合がほとんどであろう。
組織内の他者との関係性を変えれば、立場が変わる場合もあるが、関係性構築力は一朝一夕に身につくものではない。それまでの、人生、体験の中で身に付けた行動様式のようなものであるので、関係性構築力を高め、関係性を変えようと思っても、容易ではない。
そもそも、できあがった関係性や組織内カースト等を変化させること自体が簡単なことではないので、自分でどうこうすることは諦めたほうがよいかもしれない。
無理をするとかえって自分の立場を悪くすることだってある。
「仕事ができない人」認定された場合は、可哀想だが、”みんなそんなもんだよ”と、諦めて、割り切って、我慢して、その立場を甘んじて受け入れ、粛々と仕事を続けるか、異動や転職で環境を変えるしかない。
それでも、見てくれる人はちゃんと見てくれている
「仕事ができない人」認定をされていても、あなたの能力をちゃんと見てくれている人もいます。今の組織にいなくても、他の組織にはそういう人もいます。
だから、必要以上に自分がダメだと追い込む必要はありません。
ダメなところはダメで改善に努め、委縮することなく仕事に取り組むなり、自信を持って転職活動をするなりしてほしいと思います。
そして、ちゃんと見る目をもった、真っ当な人と出会えることを心から祈っています。
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