自称怒らない人というのがいます。
過去にそういう人に何名かあったことがあります。
自称怒らない人
怒らないということを自称する人に何名かあったことがありますが、印象に残っている方がいます。
その方は、私よりも一回りほど年上の方でしたが、自称怒らない人でした。
その方に、何故怒らないでいられるのかを聞いたことがあるのですが、その方曰はく「怒っている人を見ると子供に見える」そうで、「(怒るような出来事があっても)そんなに気にしないし、気にならない」といったようなことをおっしゃっていました。
要は精神的に大人だとか、余裕があるといったことをおっしゃりたかったのだと思います。
そして、その方を観察していたのですが、その言葉とは裏腹に、おこっている場面をちょくちょく見かけることがありました。
その方は、感情が表情に出やすいタイプの方で、明らかにムッとしているとか、イライラしているとか、怒っているような表情を何度もみたことがあります(もちろん、私の勝手な思い込みと言われればそれまでですが)。
そもそも、怒らない人なんてこの世にはほぼ存在しないと思います。
怒らないということは、感情が欠落しているということですので、本当に怒らない人がいたとすれば、その人は少し異常と言えるかもしれません。
恐らく、自称怒らない人は、割と怒りやすいタイプの人なのではないかと思います。
そして、そんな自分が嫌だとか、格好悪いと思っているので、怒らない人を演じているのではないかと思います。
自称怒らない人は、怒る必要がないだけ
そんな、自称怒らない人は、できるだけ、怒らないでいいような環境を作ろうとします。
本来はどちらかと言えば怒りやすいタイプなのに、怒らない人を演じるというのはストレスになります。
そのため、怒る必要のない環境を作ろうとします。
その結果、自分が怒る必要がないように、自分勝手に自己中心的に振舞うことが多いのです。
上記の私があった、自称怒らない人も、自分勝手で自己中心的な方でした。
その組織の中では、年齢的には上から数えたほうが早い人でしたので、周囲の人はそれを指摘することはなかったですが、私以外にもそう感じていたようです。
自称怒らない人は、怒らないでいいように、自分勝手に振舞っていて、周囲がそれに合わせているだけだということ、周囲が合わせてくれるおかげで、怒る必要がないというだけのことではないかと思います。
もちろん、周囲はそれに合わせてばかりもいられませんので、自称怒らない人が怒る場面を目にすることもあると思います。
怒ってもいいじゃないか
人間ですから、怒ることがあってもいいと思います。
その感情の表出のしかたに問題がある人が多かったため、怒るということが稚拙だとか、恥ずかしいといった風潮が生まれたのだと思いますが、怒ることもそれを表出することも、コミュニケーションの一環です。
怒ることもそれを表出することをしなかったから、セクハラやパワハラなんてものが出てきたのではないかと思います。
怒ることは恥ずかしい事でも、稚拙なことでもありません。
怒っていることを隠すことが、大人なわけでも、格好良いわけでもありません。
怒って適切にそれを表出するほうが、よほど人間らしいし、健全だと思います。
感情を隠してばかりいたら、いつか無感情で何の刺激も感じない、漫然としたつまらない人生を送ることになってしまいますよ。
コメント
他人を傷つけていいわけないだろ。
怒られて不快な思いをする人がいるじゃないか。
怒ると叱るは違うんだよ。
怒ったっていいじゃないという人の方が自分勝手だと思うが。
好き勝手怒鳴り散らかしてもいいけど、パワハラで刑務所行きになってもしらないよ。