家族は他人-血のつながり、情のつながり-

家族は他人-血のつながり、情のつながり- 雑感

血のつながり

家族を規定するものに、血のつながりがあります。

血のつながりというのは、どう足掻いてもなかったことにすることはできません。

”お前とは家族の縁を切る”なんて言葉を耳にすることもありますが、遺伝子レベルで家族とはつながっているのですから、それをなかったことにはできるはずもありません。

一方で、血のつながりがあるからといって、それがどうしたと思う部分もあります。

家族を煩わしいと思っている人もいることでしょう。

私も、家族(親兄弟)とは、もう何年も会ってもいなければ、連絡も取っていません。
特別、家族仲が悪かったわけではありません(良かったわけでもありません)が、実家を出てから、家族と会ったり、連絡を取ったりしたことも、必要な時だけで、数えるほどしかありません。
これは、私の人間性に問題があるだけの、特殊な事例かもしれませんが、家族(親兄弟)に対する情も薄れてきていると思っています。
家族ではあるが、やっぱり他人という意識もけっこうあります。

私のような人が、他にもいるかはわかりませんが、血のつながりは、切っても切れませんが、それだけのことだなと思います。

 

情のつながり

家族をつなぐものに情のつながりがあります。

情によって形成される代表的なものが、夫婦という、血のつながりのない家族です。

この情というものがなければ、血のつながりのある家族でも、家族としてのつながりが、希薄になるのではないかと思います。

血のつながりのある家族の場合、切っても切れない血のつながりという、ある意味強制力のあるつながりの中で、一緒に過ごす時間が長くなりますので、情というのも生まれやすいのではないでしょうか。

血のつながりのある家族の場合でも、実際に家族をつないでいるのは情なのではないかと思います。

また、血のつながりがなくても、家族になれるのが情のつながりです。

夫婦に限らずとも、強い情のつながりがあれば、それは、家族と言っていいのかもしれません。

 

家族と言っても、所詮は他人

家族と言っても、所詮は他人です。

それは、血のつながりがあろうと、情のつながりがあろうと、同じことです。

他人同士を、血や情でつなげたものを家族と呼んでいるに過ぎないのだと思います。

血のつながりのがあるからこそ、他人ということを忘れずに、そのつながりに甘えず、血のつながりがない他人だからこそ、ないつながりを作るために、お互いを思いやって情を育むことで、家族になれるのかもしれません。

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