「今日できることを明日にまわすな」とか、「今を大切に」などと、”今”を大切にすることの重要性が訴えられることが、しばしばあります。
今でなければ意味がない
”今”を大切にすることは、思っている以上に重要です。
世の中には、”今”でなくてもいいもの、”後で”や、”明日”でもいいものも”あります。
しかし、”今”でなければ何の意味もないということもたくさんあります。
例えば、接客の仕事をしていたとします。
毎日、多くの人に対応するのですから、全ての人に最高の接客をするというのは難しいかもしれません。
難しいお客さんもいるでしょうし、自分の調子というものも影響するかもしれません。
そんな接客の仕事で、今日は調子が悪いから適当に対応して、明日、最高の接客をしようと考えたとします。
いくら明日、最高の接客をしたとしても、そんな接客には何の意味もありません。
今日のお客さんと、明日のお客さんは同じ人とは限りません。
というようりも、違うお客さんである可能性のほうがはるかに高いのです。
自分にとっては、今日のお客さんも、明日のお客さんも、たくさん来るお客さんのうちの一人でしかありませんが、それは、自分側から見た、自分勝手な認識の仕方です。
お客さんから見れば、今日、適当な接客をされたお客さんにとっては、適当な接客をする店員、適当な接客をする店という認識にしかなりません。
もちろん、最高の接客をされたお客さんにとっては、最高の接客をする店員、最高の接客をする店という認識になります。
単純に考えれば、50人に最高の接客をしても、後の50人に適当な接客をすれば、平均50点の接客にしかなりません。
ただし、この平均点にはたいして意味はありません。
最高の接客をされた50人にとっては、100点の接客ですし、適当な接客をされた50人にとっては0点の接客なのです。
そして、人というのは、良いことよりも、悪いことの方を口に出す傾向があります。
100点の接客をされた人よりも、0点の接客をされた人のほうが、そのことを口にしやすいのです。
これまで、いくら100点の接客をしようとも、今、適当な0点の接客をすれば、クレームにだってなるのです。
”今”という時間は、平等に訪れますし、平等に過ぎ去っていきます。
そして、誰もが決して戻ることができないのも”今”なのです。
だから、昨日でもなく、明日でもなく、今を大切にし続けなければいけないのかもしれません。
頑張るのも、全力を尽くすのも、”今”でなければ意味がないのかもしれません。
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