何のための言い訳か

何のための言い訳か 教訓

誰でも、時には言い訳をすることがあります。

時々、この人は何のために言い訳をしているのかと疑問に感じることがあります。

 

保身のための言い訳

言い訳で一番多いのが、保身のための言い訳かもしれません。

保身のための言い訳とは、その言葉通り、自分の立場や地位、名声、安全などを守るための言い訳のことです。

誰だって、自分が一番かわいいのですから、自分の立場、地位、名声、安全などが失われるのは嫌なものです。

だからこそ、それらを守るために言い訳をします。

しかし、その言い訳にあまり意味があるとは思いません。

本人は、事実を述べているだけだという認識で、言い訳などとは微塵とも思っていないのでしょうが、結局は、それを他者がどう判断するかです。

他者から見れば、たいていの場合、言い訳だとしか見なせないことでしょう。

目上の人がこれをすれば、”言い訳をする、みっともない奴だ”と思い、目下の人がこれをすれば、”言い訳するな”と叱るか、”言い訳ばかりで、信用できない奴”と思うだけです。

言い訳をしたって、それがポジティブに働くことは少なく、”言い訳する、卑怯な奴”などといったネガティブな評価をされることが、多いことでしょう。

そう考えると、保身のための言い訳が、自分の身をさらに危うくすることだって多々あるのですから、言い訳になんて意味がないのかもしれません。

 

自分に言い聞かせるための言い訳

以前、ある人が、その人にとっては悪くない条件での仕事を断っていたことがあります。

ある人は、その仕事を受けるかどうかを迷っており、他の人に相談もしていました。

ある人は、条件は悪くないが、環境が自分には受け入れ難いものだという理由で、その仕事を断ったようです。

その選択自体は、悪い事ではありません。

そもそも、仕事をするのは、そのある人です。

周囲から見れば、”条件が良いのに断るなんてもったいない”と思うことはあるかもしれませんが、ある人の仕事を断るという決断を否定する権利も理由もあるはずがありません。

それにも関わらず、そのある人は、自ら仕事を断った理由を、相談していた人等にしつこく説明していたのです。

相談されていた人にとっては、別に断った理由なんてどうでもいいことです。

相談していたのですから、報告ぐらいはあっても良いのでしょうが、自分に説明する必要も、言い訳する必要もないと思っていたことでしょう。

私は、傍から見ていて、”何のために言い訳をしているのだろう”と疑問に思ったものです。

そのある人は、仕事を断った理由が正当であると自分に言い聞かせるため、また、他人に正当であると承認してもらうために言い訳をしていたのだと思います。

しかし、いくら他人に正当であると承認してもらったところで、何の意味もありません。

”自分の判断は間違っていなかった”と、その時は安心できるかもしれませんが、大事なのは、他人に何と思われるかではなく、自分がどう思えるかです。

そう考えると、この自分に言い聞かせるための言い訳も、それほど意味はないのかもしれません。

 

言い訳に意味はない

つまるところ、言い訳には意味はありません。

言い訳したって、何かが変わるわけでも、自分の正当性が認められるわけでもありません。

言い訳は、他者に対してするものですが、他者からすれば、言い訳なんてどうでもいいのです。

説明は必要かもしれませんが、言い訳は必要ありません。

他者に、理解してほしいという願望を抑えて、言い訳をしないという選択も時には必要なのかもしれません。

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