与えられた環境でどう生きるか

与えられた環境でどう生きるか 人生

自分のおかれた環境、与えられた環境が悪いと感じれば、やる気を失いがちです。

しかし、与えられた環境でどう生きるかで、人生が変わってきます。

 

与えられた環境

今の自分がおかれている環境は、与えられたものか、自分で得たものかを考えると、与えられたものでもあり、自分で得たものでもあると言えます。

例えば、大企業に就職したとします。

大企業に就職できたのは、自分の力に因るところも大きいのですから、自分で得たものと言えます。

しかし、どこに行っても、変な人、変わった人、合わない人というのはいるもので、大企業に入ったとしても、人間関係は最悪だという場合だってあり得ます。

この人間関係が最悪という環境は、入ってみなければわからないですし、自分の力だけではどうしようもない部分もあるのですから、ある意味、与えられた環境と言えます。

このように、どんな環境であっても、それは、自分で得た環境であると同時に、与えられた環境でもあるのです。

 

与えられた環境でどう生きるか

どんな環境であっても、その全てが、与えられた環境であるという側面を持つのですから、その中でどう生きるかを工夫するしかありません。

例えば、就職活動に失敗して、大企業に就職できなかったとしましょう。

そこで、大企業に入れなかったからといって、適当に仕事をしていては、何かが身に付くことも、何かを成すこともないでしょう。

一方で、就職先が大企業ではなかったとしても、そこは人間関係も良く、社員数が少ない分、色々な仕事をすることができ、責任ある仕事も早くから任せてもらえる環境かもしれません。

大企業には入れなかったけれども、ここで頑張ろうと覚悟を決めて、仕事を頑張れば、色々な仕事を経験できて、大企業に入るよりも早くスキルアップできるかもしれませんし、早くから責任ある仕事を任されて、大企業で小さな歯車となるよりも、仕事のやりがいを感じられるかもしれません。

今の環境が、成功による(就職活動で第一希望の会社に就職する等)ものであったとしても、与えられる環境が、必ずしも、自分が望むものであるとは限りません。

今の環境が、失敗による(就職活動に失敗し、希望ではない会社に就職する等)ものであったとしても、与えられる環境が、自分にとって悪いものとは限りません。

どんな環境であっても、与えられた環境であるという側面を持つのですから、どんなに頑張っても、全てが自分の望む環境であることはあり得ません。

結局は、与えられた環境で、自分がどう生きると覚悟するかで、自分の人生も決まってくるのだと思います。

環境の所為にしたって、自分の人生が良くなるなんてことはないということです。

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