世の中には、もっともらしいことを言っているだけの人がたくさんいます。
もっともらしいことというのは、たいして役に立ちません。
もっともらしいことにだまされないで下さい。
もっともらしいことを言う人とは?
●もっともらしい【尤もらしい】( 形 ) [文] シク もつともら・し
いかにも道理に合っているように見える。 「 - ・いうそをつく」 「 - ・く話す」
[派生] -げ ( 形動 ) -さ ( 名 )
以上、『大辞林・第三版』(三省堂)より引用
つまり、もっともらしいことを言う人とは、いかにも正しそうなことを言っている人ということである。
こういう人は、いつも正しそうなことを言っているので、常識人と見られ、周囲からの評判は悪くない。
正しそうなことを言っているので、良いことを言っているように思われがちだ。
周囲からの上記のような見かたもあり、もっともらしいことを言っている本人も、正しいことを言っている、良いことを言っていると勘違いして、ますますもっともらしいことをまき散らす傾向がある。
なぜ、気を付けたほうが良いのか?
要は、正しそうで、一般的と思われるようなことを言っているだけなのだ。
正しそうなことを言っているだけで、言っていることがが必ずしも正しいわけではない。
もっともらしいことを言うのは、自分の意見がなかったり、自分の意見を言うことで批判されるリスクやがっかりされることを避けるための自己保身にすぎない。
そのくせ、いい格好をしたいからもっともらしいことを言うのだ。
言わば無責任な人がそれを隠し、自分をよく見せるための常套手段なのだ。
例えば、誰かに相談事をして、その時は正しそうなアドバイスをくれたと思っても、後で振り返ってみると、「それはわかっている」と思ったり、具体性がなく、良いことを言われたようで、結局、役に立たなかったという経験はないだろうか。
これは、もっともらしいことを言われているからだ。
もっともらしい意見というのは、一般的に正しそうと思われる意見にすぎない。
自分自身が余程の常識外れであったり、一般社会から乖離して生活していない限り、少し考えればもっともらしい意見にはたどり着く。
それをわざわざアドバイス頂いてもたいして意味はない。(他人から言われて、自分の考えは一般的なんだと安心するぶんには大いに役に立ちます)
また、もっともらしい意見というのは、一般的に正しそうな意見にすぎないのだから、個別の事例に合わせた意見ではない。
具体性に欠け、あまり役に立たないということは容易に想像できると思う。
誰かに相談する場合というのは、他者の意見を聞いて、自分の意見が一般的で正しいと安心したい場合もあるが、その他者の経験や人間性に期待し、個別の独自のアドバイスを欲しいという場合もあると思う。
個別の独自のアドバイスをする場合、それが正しいとも、それで必ずうまくいくとも限らない。失敗するリスクも大いにある。
そのリスクを回避し、責任を逃れるために、もっともらしいことを言うのだ。
そんな中、個別の独自のアドバイスをくれる人は大事にしたい。
個別の独自のアドバイスというのは、一般論から離れ、自分にはなかった、新たな視点を与えてくれるものである。
だからこそ大いに役に立つ。
行き詰まりを解消してくれるかもしれないのだから。
だから、自分の意にそぐわないものであっても、個別の独自のアドバイスは大事にしたほうが良いのである。
もっともらしいことを言う人は無責任で、そのくせ周囲にはいい格好をしたい自己愛に溢れる人だ。
こういう人は、基本的に周囲の人を自分に都合良く扱うことしか考えていない。
表面的なもっともらしいことに、決してだまされてはいけない。
コメント
保身が働く場面で強く出ますね。