中身がないなら表面を取り繕え

中身がないなら表面を取り繕え 教訓

”中身がない人”などという言葉を耳にすることがあります。

”中身がない人”なんて、本来はいないとは思うのですが、自分のことを中身がないと感じている人もいることでしょう。

”中身がない人”は、中身がないからこそ表面を取り繕うほうがいいのかもしれません。

 

中身がない人

なかみ【中身・中味】
① 容器などの中に入っているもの。物の中に含まれているもの。 「箱の-」
② 物事の内容。外見ではなく、実質。 「話の-」 「偉そうな口をきいても-は空っぽだ」
③ 刀剣の刃の部分。刀身

『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

中身とは上記のような意味ですが、”中身がない人”と言う時の中身は、②意味で用いられているのだと思います。

しかし、②の意味で用いられていると考えても、”中身がない人”の定義はよくわかりません。

よく、もっともらしい事や、人の受け売りのようなことばかり言っている人は、”中身がない人”と言われます。

一般的に用いられている”中身がない人”というのは、目立った個性や個別性がない人のことや、人間的魅力に欠ける人のことを指すのでしょう。

実際には、個性や個別性がない人なんていませんし、人間的魅力というのも、同じ人のことでも、評価する人によって魅力のあるなしの判定は変わってきます。

そう考えれば、”中身のない人”なんていないのですが、いわゆる”空気を読む”ことで、個性を抑えたり、出る杭は打たれるので、打たれないように大人しくして、個性や個別性、人間的魅力を見えにくくした結果、”中身がない”と言われる人が出てくるのだと思います。

そして、そういう評価を目の当たりにすることで、本人自身も、”自分は中身がない”と自分を見失ってしまうのでしょう。

 

中身がないなら表面を取り繕え

中身がない人なんていませんが、自分のことを中身がないと感じている人に、”そんなことない”といったところで意味はありません。

それが受け入れられるなら、自分のことを中身がないなどとは感じていないからです。

ですので、中身がないと感じている人には、”そんなことはない”と本人にとっては気休めにしかならない言葉よりも、”中身がないと感じているなら、表面を取り繕え”と言いたいのです。

表面を取り繕って、中身がありそうに見せれば、周囲の見方が変わります。

周囲の見方が変われば、本来持っている中身をちゃんと出すことができるかもしれないからです。

例えば、転職を繰り返している人が、就職の面接に行ったとしましょう。

面接官からすれば、履歴書を見れば、転職を繰り返していて、たいしたキャリアを積んでいない、中身のない人だという評価をするでしょう。

そんな中、面接にだらしない格好でいったとしたら、面接官からしたら、”やっぱり中身がなさそうだ”という評価しかしませんし、良いところを探そうともしません。

一方で、きちんとした、仕事ができそうにさえみえる格好で面接に行ったとしたらどうでしょうか。

面接官からしたら、”期待していなかったけど、きちんとしていそうだな”という印象を持ち、面接で履歴書には現れない良いところを、探してくれるかもしれません。

周囲の見方が変われば、あなたへの接し方も変わり、本来の個性や魅力を出して、中身のある人になれるかもしれないのです。

自分は中身がないと感じている人は、中身を探したり作ろうとするよりも、まずは表面を取り繕うことです。

人間に他人の中身を見透かすことなんてできないのです。

人が見ているのは、所詮表面的なことに過ぎず、その表面的なことから、中身を推し量っているだけのことです。

中身云々の話は、表面を取り繕ってからでいいと思います。

どう表面を取り繕うかに、あなたの中身が現れるかもしれません。

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