人は、やりたくないことを選択することもあります。
私も、最近この選択をしましたが、そのことを考えると本当に億劫でうんざりしてしまします。
やりたくないことを選択せざるを得ない時もある
やりたいことだけをやって生きていければ良いのですが、やりたくないことを選択せざるを得ない時もあるのが現実です。
私も最近、このやりたくないことを選択せざるを得ない状況になりました。
選択肢は複数あったのですが、自分にとって好ましい選択肢は現実性に乏しく、それを選択するのは無謀と感じたため、残った選択肢はいずれも自分にとっては好ましいものではなかったのですが、その中からまだましかなと思える選択をしました。
ましだと思っただけで、決して自分がやりたい好ましい選択ではありません。
ましなだけで、嫌なものは嫌なのです。
このような選択をせざるを得ない人もたくさんいると思います。
今の世の中、生きていこうと思うと、このような選択を迫られるのは仕方のないことかもしれません。
世知辛いと言えば、世知辛い世の中です。
やりたくないことを選択した先には心の疲弊が待っている
やりたくないことを選択した際、割り切ってやる、覚悟を決めてやるなどという人もいることでしょう。
しかし、割り切ろうが、覚悟を決めようが、やりたくないことには変わりはありません。
やりたくないことを選択した先に待っているのは、心の疲弊です。
嫌だな、億劫だな、面倒くさいな、なんでこんなことをしないといけないのだろうと、心が疲弊していきます。
そんなにまでして大層な結果を得られるのであれば良いのですが、そもそもやりたくないことなので、やりたくないということは、大した結果が得られないことが予想されているのです。
やりたくないことをして、自分が満足できるような大層な結果が得られるのは稀で、予想通りの大した事のない結果を得て、やりたくないことをしてこんな結果しかないのかと、予想通りとはいえ、やっぱりなとがっかりして、疲弊することでしょう。
やりたいことができる準備をしておこう
やりたくないことを選択しても、大層な結果は得られず、心は疲弊するばかりです。
やりたくないことなんて、できるだけ選択しないほうが良いのです。
だからこそ、やりたいことが選択できるように準備をしておいたほうが良いと思います。
お金をためておくなり、スキルを磨いておくなり、何でもいいので、いざという時、やりたいことができるように準備をしておきましょう。
やりたくないことしか選択できない時は、大抵がこの準備ができていない場合です。
これまで、やりたくないことしか選択できなかったという人は、今まで漫然と生きてきたということです。
やりたいことができる人生を目指して、日々準備したほうが良いのではないでしょうか。
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