価値観の押し付けは、多様な人間を受け入れない社会を作る

価値観の押し付けは、多様な人間を受け入れない社会を作る 社会

夏の甲子園、全国高校野球選手権大会が終了したようだ。

高校野球には興味がないので、結果はどうでもいいのだが、少し前に、本大会の出場校のどこかの監督の指導方針が話題になっているのを見かけた。

・文武両道は二流
・自主性は尊重しない
・携帯電話を入学時に解約させる
・対戦相手の選手がかき氷を食べていたが、自校の選手には許さない

といったことが、表面的に取り上げられ、批判を集めたようだ。
この指導方針の真意はわからないし、正しいかどうかも判断しようもないし、する必要もない。例えば「自主性は尊重しない」ということについて、今の若者に限らず、人間だれしも、楽ができるのであれば、楽をしたいのだろうから、時には厳しく強制されるほうが、後に実力が身についていたなんてことだってある。一方で、強制ばかりされていては、自主性が育たないということだって十分にあり得るだろう。

見る人によって正しいかどうかなんて変わってくるし、それでいいのだと思う。

しかし、こういった指導方針が、価値観の押し付けになっていないかということを危惧している。

 

価値観の押し付けは、他者の価値観を受け入れない人間を作る

指導方針なんて、国や学校が掲げているものもあるだろうが、基本的には指導者の体験から得た、個人の信念に基づく価値観だといえる。
だからこそ、上記のような指導方針を掲げる監督もいれば、それとは異なる指導方針をもっている監督もいるのだろう。

指導方針というものは、教育者や子を持つ親などであれば、誰でも持っているものだとは思うし、子どもに対して、多かれ少なかれ押し付けている部分はあるが、例えば、高校野球で全国大会に出場するような学校の場合、指導者からの指導方針という名の価値観の押し付けが、より強く行われているのではないかと思う。

根拠はないので、事実ではないかもしれないが、部活動にそれなりに熱心に取り組んでいたであろう体育会系の人や、体育教師を見てそう感じることが多い。彼らは、部活動で押し付けられ、身に付けた、自分の価値観に囚われ、それが唯一正しいと、周囲にも押し付けてくる。そして、その価値観に沿わない人は、平気で否定してくることが多いからだ。

高校生という、価値観を形成していく時期に、一つの価値観を押し付けられ、それに従う。

他の価値観に触れる機会も少なく、一つの価値観を押し付けられ、それで、例えば、全国大会出場などの結果を残すと、それが絶対的に正しいと勘違いする。

そして、それを他者にも押し付け、そこから外れるものは排除するようになってしまうのだ。

例えば、学校の体育系の部活動で、「みんなつらい思いをして頑張っているから、お前も頑張れ」などといって励ますことがある。

これも価値観の押し付けに他ならない。

みんなつらい思いを頑張っていることが、お前が頑張る理由にはならない。
つらいという感じ方なんて、人によって異なる。
みんなとお前が同じつらさを持っているとは限らない。
別にみんなつらい思いをして頑張っていようが、お前が頑張らないという選択だってあり得るのだ。

それにも関わらず、みんなつらい思いをして頑張っているのだから、お前も頑張らないといけないという価値観を押し付ける。そして、それに従い、たまたま良い結果がでると、その価値観が正しいと妄信してしまう。

この価値観を押し付けられ、それが唯一正しいと勘違いしてしまった場合、俺が辛い思いをして頑張っているのだから、お前も辛い思いをして頑張れという価値観を持ってしまうことになる。
別につらい思いをしなくてもいいし、頑張りたいなら頑張ればいいし、頑張らなくてもいい。
それは全て本人の自由な選択であっていいものにも関わらず、辛い思いをして頑張れない人間は、排除するということにつながるのだ。

例えば、高校野球で全国大会出場なんてすごいことだ。きっと周囲の人間ももてはやしてくれることだろう。でも、それだけのことだ。

別に、押し付けられた価値観が唯一絶対に正しいわけではない。
他の価値観だってあっていいし、それは尊重こそされ、否定されるべきものではないのだ。

 

他者の価値観を受け入れない人間が増えると、多様な人を受け入れられない社会が出来上がる

ファッションには流行がある。
この流行も価値観の一つに他ならない。

街中を歩けば、猫も杓子もといった感じで、皆同じようなファッションに身を包んでいる。
流行という一つの指標に囚われ、流行にのらないとダサいという一つの価値観が蔓延しているからだ。

服装なんて、他人に迷惑をかけないのであれば、何を着たっていい。
それにも関わらず、流行外れの服装をしていると、ダサいと否定される。

一つの価値観に囚われ、他の価値観を排除する典型的な例であろう。

このように、他者の価値観を受け入れない人間が増えると、多様な価値観を受け入れられない、他者を排除する、社会が出来上がる。

これは一例にすぎず、社会にはこういった、一つの価値観に囚われ、多様な価値観を受け入れないということは蔓延していると思う。

最近、自分らしさを求める人が多いように思うが、それは、多様な価値観を受け入れられないことが一つの原因なのだと思う。
自分の価値観が受け入れられない。
でも、他の多くの人が持つ価値観が正しいとも思わない。
だから、迷走して、自分らしさがわからなくなり、自分らしさを求めるのではないだろうか。

多様な価値観が受け入れられない社会なんて、息苦しいだけだ。

 

色んな人がいるから面白い。色んな人を受け入れよう。

人は、無意識的に、自分の価値観が正しいと思ってしまいがちだ。
だから、自分が正しいと思うことから外れる人を否定し排除してしまう。

自分の価値観が正しいだなんて思わないほうがいい。
自分が正しいと思っていたことが、後になって間違っていたかもと、恥ずかしい思いをするだけだ。

色んな人がいるから面白いし、色んな人の価値観に触れることで、それまで知らなかったことを知ることができ、自分も成長できるのだ。

だから、自分の価値観にそぐわない人でも、否定したり排除せず、まずは、そういう価値観もあるのだという事実をそのまま受け入れてみてはどうだろうか。

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