底辺は底辺同士で序列を作る

底辺は底辺同士で序列を作る 社会

スクールカーストやオフィスカースト等、人は生きていく中で、ヒエラルキー、序列といったものを必ず形成していることは何度が述べてきた。

社会という大きな集団から、職場、学校のクラス等、人が集まれば、そこには必ず序列が形成される。

そして、人は分類されたカテゴリーの中でもさらに序列を形成している。

 

底辺は底辺同士で序列を作る

職場でも学校でも何でもいいのだが、ある集団があり、その中で、上・中・下という序列が作られたとしよう。

人が作る序列は、これだけに止まるものではない。

”上の下”とか”中の上”などといった表現があるように、上のカテゴリーに分類されたものは、その中で更なる序列を作り、中のカテゴリーに分類されたものは、その中で序列を作る。
同じく、下のカテゴリーに分類されたものは、その中で更なる序列を作っていく。

下のカテゴリーに分類されたものは、上に比べれば、様々な面で損をしているということは明らかなのだが、そのことをわかっている下のカテゴリーに分類されたもの同士が、その中で更なる序列を作っているのだ。

下であることで、損をしているということをわかっていながら、人を労わる気持ちなど微塵もなく、少しでも利を得ようと、自分より下を作ろうとする。

別に上のカテゴリー内でも同じだ。
上と分類されただけで、既に十分得をしているにも関わらず、さらなる利を得ようと、上の中で自分より下を作ろうとする。

人がいかに醜悪な生き物であるかということがよくわかる。

 

どんぐりの背比べ

人は序列を作りたがるが、実際には上であろうと下であろうと大差はない。
単に、世間一般の価値観で見れば、上の人間のほうが良い評価を得やすい特性を持っていたというだけで、時代が変われば、世間一般の価値観なんて変化するように、それが正しく絶対的なものではなく、曖昧な基準に基づくものなのだ。

そんなもので序列を作ること自体、馬鹿らしいことで、人の能力なり何なりを総合的に評価すれば、そんなに大差はない。

どんぐりの背比べ過ぎないのだ。

下の中での序列作りというのは、どんぐりの背比べ感がさらに強くなる。
下の中でいくら序列を作ろうと、上から見れば”下の上”だろうと”下の下”だろうと、下は下でしかない。

それにも関わらず、序列を作って僅かばかりの利を得て、どうしたいのだろうか?
下の中でお山の大将になって、それほど意味があるとは思えない。

それでも、下の連中ほど、下の中での序列を作りたがる傾向がある。
それは、大分類の中で下と分類されたことからくる劣等感によるものなのかもしれないが、下の争いは、醜さが増すというのが世の常だ。

下同士で序列争いをしたって、上の連中からさらに見下され、馬鹿にされると心得たほうがいいのだろう。

 

底辺から序列崩壊を起こせ

下に分類されたものは、上に分類されたものに比べれば、損を被っているのは明らかだ。
それにも関わらず、下の中でさらに序列を作って、僅かな利を得たって、上が得ている利には遠く及ばないのだ。

序列というのは、下になればなるほど、その組織なり、集団内での居心地が悪くなるものだ。
下の中で序列を作って、自分より下のものを作ったところで、自分の居心地が良くなるなんてことはあり得ない。

だからこそ、下の中で序列なんて作らず、フラットな関係の元、下の連中で結託して下の中では序列がないという、居心地の良さを目指せばいいのではないだろうか。

上の連中なんて放っておけばいい。
勝手に潰し合いをさせておけばいいのだ。

基本的には皆、序列の上位の奪い合いには辟易しているのだ。
そのうち、序列を作らない姿勢が評価されて、序列が上位になっていたなんて夢みたいなことも起こるかもしれない(まあ、期待はしないほうが良い)

何より、序列を作るなんて、浅はかで愚かで醜い行いなんてしないほうが、人間としては真っ当なのだ。

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