高齢者だから敬うのではない

高齢者だから敬うのではない 社会

最近の若者は年長者を敬う気持ちがないとか、高齢者だから敬うべきといった論調がある。
これには、人によって様々な意見を持つことだろう。
しかし、「〇〇だから~~」といったような、世代や所属、出身大学等でカテゴライズして、画一的な特徴等を付与するやり方、あるカテゴリーにある人だから、~~しなければならないといった論調には疑問を感じる。

そのカテゴリーに属する人が、皆同じ特徴を持つわけではない

何故、高齢者を敬わなければならないのだろうか?
戦後の日本の高度経済成長を支え、今の日本を作った人たちだからだろうか。
若い世代に教育を与え、若い世代の人を育てた人たちだからだろうか。
では、高齢者は若い世代の人を敬う必要はないのだろうか?
若い世代の人からしたら、自分がもらえるかもわからない年金を払いながら、高齢者の年金生活を支えてやってるんだ、高齢者こそ現役世代を敬えと思っている人だっているだろう。

最近は高齢者のマナーの悪さが話題になることもあるが、高齢者といっても、敬うに値しない高齢者が多いと思っている人もいることであろう。

私だって、高齢のお婆さんが、私が後ろにいるのに気づいても、狭い歩道で二人横並びになってくっちゃべってちんたら歩いて、よけようともせず道を塞いでいたら、いい年して常識がないな、こんな高齢者を敬うことなんでできないと思うこともある。

東大出身で華々しい経歴をもっていても、「このハゲー!」と罵倒するような政治家だっている。

当たり前のことだが、同じカテゴリー内にいても、全ての人が同じなわけではない。
表面的なある特徴が一致しているだけのことだ。
それにも関わらず、「今どきの若者は~~」に代表されるような、「〇〇だから~~」といったことをいつまでも言っている。

一つの価値観・物差しで人を見るのは止めてほしい

「〇〇だから~~」といった、一つの価値観・物差しでみるやり方は、多少なりとも人に対して誤ったレッテルを貼ることの要因になっていることに変わりはない。
いい加減にこれは止めたほうがいいと思う。
高齢者だからといって、敬うに値しない人もいれば、今どきの若者でも、素晴らしい人だっている。
一つの価値観・物差しに左右されず、変な先入観を持たずに、一人一人をしっかりと見るべきである。

世間には他人のことを批評するのが大好きな人が多い。
そういう人に限って、一つの価値観・物差しで他人を語る人が多い。
一つの価値観・物差しで見た他人を、あたかもその人の全てであるかのように語っている。
一つの価値観・物差しでは、その人の全てはわからないのだから、人の多様さを認められないものは、他人のことを語るべきではない。

高齢者だから敬うのではない

上では、敬うに値しない高齢者もいると言っているが、敬うに値する人を敬えと言っているのではない。敬うに値しない高齢者などということ自体間違っている。

本来、人は等しく全ての人を敬うべきなのだと思う。

私は大した人間ではないので、偉そうなことを言ってはいるが、全ての人を敬うことなどできていない。

ただ、全ての人が全ての人を敬えば、誰も嫌な思いをすることがない社会ができるのではないかと思っているし、そういう社会になることを望んでいる。

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