障害者に対する私見①-障害者は不幸か?-

障害者に対する私見 社会

2017年7月26日(水)20:00~ NHK Eテレにて「シリーズ 障害者施設殺傷事件から1年 第3回 生放送 障害者は“不幸”?」という番組が放送されており、視聴した。
2016年7月26日未明に発生した、相模原障害者施設殺傷事件をうけての番組だ。
様々な議論をよび、デリケートな部分も多い事件であった。

この番組を見て、障害者に関して色々と思うところがあった。ここで言及することについては躊躇われたが、書いておかないと後悔しそうに感じたので、書くことにした。

もし、これを読まれて不快に感じられる方がいたら、不快にさせたことに関しては謝罪したいし、馬鹿で無知な人間の戯言だと思って、無視していただけると幸いである。

障害者は不幸か?

私の率直な意見は「わからない」だ。

幸か不幸かは、自分自身が規定するものと、他者が規定するものがある。
基本的には、自分が”幸せだ”と感じていれば、幸せなのだろうし、自分が”不幸だ”と感じていれば、不幸なのだと思う。

一方で、他者は本人がどう感じているかに関わらず、人の幸、不幸を決定している。
自分は自分の主観で、幸、不幸を決定しているが、他者もまた、他者の主観で、人の幸、不幸を決定しているのだ。
自分が幸せだと感じていても、他者が、あいつは不幸だと勝手に見なしていることもあるということだ。
例えば、自分は幸せだと感じているAと、Aは不幸だと感じているBがいたとする。
これに、どちらが正しいとかはない。それぞれの目から見た、それぞれが感じた印象にすぎない。しかし、それが、それぞれにとっての真実でもある。
つまり、Aにとっては、自分は幸せだというのが真実であり、Bにとっては、Aは不幸だというのが真実というだけのことだ。

感じ方、考え方は人それぞれなのだから、一致している必要などないし、一致するはずもない。
Aが自分が幸せなのだと、主張しても、BからすればAは不幸というのが真実なのだから、”強がるなよ”と思われてしまえばそれまでだ。
BがAにお前は不幸だと主張しても、Aからすると自分は幸せというのが真実なのだから、”何もわかっていないやつが、いい加減なことを言うなと”思われてしまえば、それまでのことなのだ。

障害者に置き換えても同じことだ。
障害者Aが、自分は障害があっても幸せだ、と感じていれば、それが障害者Aにとっての真実だし、他者が障害者だからAは不幸だと思えば、他者にとってはAは不幸だというのが真実なのだ。

そもそも、障害に有無に関わらず、幸、不幸の感じ方なんて人それぞれなのだ。
障害者でも幸せという人はいるだろうし、不幸という人もいるだろう。
障害者を見て、その人を不幸だと思う人もいれば、その人を幸せだと思う人だっている。

そんな、個人レベルで感じることを、障害者という大きな括りで論じることなんてできないのだから、わからないという回答しかできない。

障害者の方は、障害があるから不幸だと言われることに関して抵抗があるのかもしれない。
ただ、障害も含め、色々な人がいるということは、障害者の方やその周囲の方が一番よくわかっておられるのではないだろうか。

だから、別に障害があるから不幸だという人がいても不思議ではないし、それがを否定する必要もないのではないだろうか。

”あなたはそう思われるんですね”で終わることではないだろうか。
それを、障害があっても不幸ではないんですと声高に叫んで何の意味があるのでしょうか。
個人の考えを否定し、改めさせたいのでしょうか。

人が他者に持つ印象や考えというのは、ある意味ではすべて偏見だと思います。
個人の主観で見た、個人の偏った見方でしかありません。

そういう意味では、障害の有無に関わらず、人はだれでも他者から偏見をもって見られているのです。
だから、人の目に縛られず、幸せだと感じているのであればそれでいいし、他者が障害者の幸、不幸をどう思っているかは、そこまで重要ではないのだと思います。

 

ところで、私は、今のところ、障害があるという診断は受けたことがないが、今後、障害を持つことになる可能性だってある。もし、今後、自分が障害を持つことになったら、自分は不幸だと感じることと思います。

先に述べたことと矛盾する言い方になってしまうのですが、障害者に対する差別意識や偏見は間違いなく存在していると感じているからです。
それは、私自身が障害者に対する差別意識や偏見を持っているということでもあると思います。

 

障害者に対する私見②ー障害者に対する無知ー」に続く

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