継続は力なり

学校は社会の縮図 教訓

タイトルのままです。
最近つくづくと感じます。
自分の周りの人を見ても一つのことを継続している人は結果を出している人が多いです。

私は、学生の頃、ある専門的な勉強をしていました。
結局、私はそれに意味を見いだせず、今は学んだ専門的な分野には関わっていないのですが、一緒に学び、現在もそれを継続している人は、例えば独立して仕事をしていたりと、それなりに結果を出しています。
独立でなくても、それで仕事をし生活をしているだけでも、立派だと思います。

かくいう私は、その専門分野に関わるのは嫌だという思いがあるだけで、特に他に何かあるわけではなく、地に足がついていないような、周りから置いて行かれるような感覚があり、自分自身何も身についていないなと思うことが多々あります。
当然、自信も持てず、周りと比べても自分が劣っていると感じてしまいます。
この感覚は加齢とともに大きくなります。
それは、年齢を重ねた分だけ、新たなことに挑戦し、継続するという機会が減少することや、新たに継続すべきことを見つけたとしても、既に継続している人に追いつき追い越すためには、相当な努力が必要となるからです。

そのため、今なにか、継続していることがある人で、特に他に何かやりたいことがない人は、継続してきたことを嫌でも続けることをおすすめします。一日30分でも良いので、継続してきたことにまじめに取り組み継続が途切れないようにすれば、いつかそれが自信になり、力になり、武器になると思います。

私は小さいころに、姉が習っていたという理由でピアノを習わされていました。
小学校2年生の頃ぐらいまでは、ピアノの先生も厳しく、親に強制的に練習をさせられたこともあり、その年齢にしては難易度の高い曲を弾いていたように思います。
その後、転居によりピアノの先生が変わったこと等もあり、自宅では全く練習しなくなりました。ピアノは小学6年生まで習っていましたが、やめるときは小学2年生のころよりも弾けなくなっていたと思います。
その後、年齢が上がるにつれ、バンド等の音楽活動に興味を持ったりした時期もありましたが、その時、ピアノをもう少しまじめに継続してやっていればよかったと、後悔したことを覚えています。

仕事でも、続けていれば辛いことの連続で辞めたいと思うことも多々あると思います。
でも、まじめに続けていれば、経験を積んでそれなりに実力もつきます。
人間関係が辛い場合でも、例えば嫌な人が辞めるかもしれないし、年数が経つことで嫌な人との関係が変化することもあります。

何も続けず、何も残せていない、何も積みあがっていない者と比べれば、よほど立派な人間だと思います。

今は嫌でも、いつか自分自身がそれを必要とする時が来るかもしれません。

何もやらないなら、とりあえず今あるものを継続したほうが良いです。

それがあなたのアイデンティティの一部となるかもしれません。

継続するものがないなら、少しでも興味があることを見つけ、とりあえずそれを継続してみてください。

継続しても、その分野で超一流になることは稀だと思いますが、ある程度、そこそこにはなれると思います。そのある程度、そこそこのものがあるとないでは大きく違ってくると思いますよ。

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