結局、気に入られるかどうかが全て

結局、気に入られるかどうかが全て 教訓

結局、気に入られるかどうかが全て

職場や学校など、社会の中で生きていく上で、上手くやっていけるかどうかは、周囲の人に気に入られるかどうかが全てです。

人間性や能力等はあまり関係ありません。

もちろん、人間性や能力を気に入るということもありますので、全く関係がないとは言えませんが、多くの人、ほとんどの人が、その人本来の人間性や能力などはそこまで見ていません。

それぞれの人が、それぞれの主観で、その人に対するイメージを勝手に持って、気に入る気に入らないを判断しています。

そして、それが社会の中で上手くやっていけるかどうかを分けているのです。

例えば、仕事においても、仕事で成果を上げている人が、上手くやっていけるわけでも、仕事が出来ると言われているわけでもありません。

仕事で成果を上げていたとしても、周囲の人に気に入られていない人は、成果通りの評価を受けることは、まずありません。

逆に、仕事で大した成果を上げていなくても、周囲の人に気に入られている人は、成果以上の評価を受け、仕事が出来るなどと言われています。

成果が明確に数字になって表れる仕事でも、この傾向は同じです。

例えば、営業職など、比較的成果が数字に表れやすい仕事においても、営業成績は悪くなくても、周囲に気に入られていないと、”人間性が…”などと、数字ではない部分を持ち出して、低い評価を受けがちですし、上手くやっていけるわけではありません。

仕事では、成果が明確に見えにくいものも多いですので、周囲に気に入られる人が上手くやっていけますし、良い評価も受けるのです。

結局は周囲に気に入られるかどうかが全てと言っても、過言ではないのです。

 

気に入られるか否かを分かつもの

気に入られるかどうかを分かつのは、周囲の人に良いイメージを持ってもらえるか否かです。

周囲の人に良いイメージを持ってもらうにはどうするか?

それは、世間一般の価値観を知ることです。

世間一般ではどんな人が良いイメージを持たれているでしょうか?

それは、明るく元気な人、はきはきとしている人、社交性のあるとっつきやすい人、清潔感のある人、感じのいい人等々です。

逆にどんな人が悪いイメージを持たれるでしょうか?

それは、暗い人、大人しい人、無口な人、声が小さい人、身なりがだらしない人等々です。

いずれを見ても、表面的なものでしかありませんが、人はそんな表面的なもので、人に対するイメージを持ち、それで気に入る気に入らないを判断しています。

そして、気に入られなければ社会では上手くやっていけないのです。

暗くて、大人しく、無口で、声が小さく、身なりはだらしなくても、よくよくその人を見れば、能力の高い人、素晴らしい人間性を持った人というのはいます。

しかし、そんな人でも、表面的特徴から抱く主観的イメージによって、気に入られず、社会から否定し、排除されるのです。

 

周囲に気に入られた方が上手くいく

上記を踏まえて、社会で上手くやっていきたいのであれば、周囲に気に入られることを重視しなければなりません。

しかし、周囲に気に入られるように振舞うというのは、思いのほか難しいものです。

もともと大人しい人が、いきなり社交的に振舞えと言われても、どうすればいいかわからないと思います。

声の大小だって、自分で調整可能な部分もありますが、通りやすい声質とか、生まれつきのものだってあるのです。

もともと通りにくい声質で、声が小さい人が、意識的に大きな声を出し続けるというのも大変なものです。

そして、一度付いたイメージは簡単に変わるものではありません。

だから、急に気に入られようと振舞っても、その変わりようが逆にイメージダウンを招きます。

上手くやるためには、周囲に気に入られる方がいいのですが、周囲に気に入られるというのも簡単ではありません。

そして、周囲に気に入られなければ上手くやれない世の中なんて”あほくさいな”なんて思ったりもします。

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