人は、気付かないだけで、多くの人に支えられて生きていると言われます。
人は支えられて生きているのか?
広い範囲で見れば、人は支えられて生きているのかもしれません。
例えば、我々が普段食べているものだって、生産者の人がいなければお金を払っても食べられないのですから、生産者の人に支えられていると言えるのかもしれません。
また、生産者の人も、買ってくれる人がいなければ、収入を得ることができないのですから、生産者の人も買ってくれる人に支えられていると言えるのかもしれません。
そう考えれば、人はお互いに支え合って生きていると言えなくもないと思います。
しかし、そんな広い範囲で考えて、人は支えられて生きているなんて言われても、たいていの人はピンとこないのではないでしょうか。
ここで言う、”支え”とは友人、家族、恋人等、何でも良いのですが、精神的な支え、心の支えみたいなもののことです。
上記の”支え”に限定して考えれば、支えられて生きている人もいれば、支えなしに生きている人もいると言えるのではないかと思います。
支えなく生きてきた人はいない
これまでの人生の中で、何の支えもなしに生きてきたという人は、おそらくいないと思います。
これまでの人生で、家族、友人、恩師、仲間等々、何らかの心の支えを持っていた人がほとんどではないでしょうか。
子どもの時代を生き抜いて、大人になっているわけですから、ほとんどの人が、家族の支えは持っていたと思います。
もちろん、ろくでもない親で、何の支えにもならなかった人もいるかもしれませんが、子どもの頃には、親や家族に限らず、何らかの大人の支えがあったと思います。
何の支えもなしには、大人にはなれていないと思うのです。
だから、支えなく生きてきたという人はいないのではないかと思います。
支えなく生きている人はいる
しかし、大人になった今、何の支えもなしに生きている人はいると思います。
家族とはろくに連絡もとらず、友人や恋人もいない、職場の同僚にも恵まれず、何の支えもないという人は、意外と多いのではないでしょうか。
何の支えもなしに、漫然と毎日を繰り返し、職場と自宅の往復で、趣味や楽しみもなく、休日は自宅でダラダラと過ごしているだけという人も多いことでしょう。
支えなく生きている自分を不幸だと思う人もいるかもしれませんが、支えなく生きている人はあなただけではありません。
支えなく生きてきた人はいませんが、支えなく生きている人は確実にいます。
だから、支えなく生きている自分を嘆かないでほしいのです。
そんなことをしていては、どんどんみすぼらしい自分になっていってしまいます。
また、”人は支えられて生きている”なんて言葉に騙されて、何かに支えられて生きているなんて思い込もうとする必要なんてありません。
支えなく生きているなんて言えば、過信や慢心なんて思われそうで、なかなか言えませんが、支えなく生きているのですから、それを表明する必要はありませんが、支えなく生きている自分に自信と誇りを持てばいいのではないかと思います。
コメント