苦労して得たものも、楽して得たものも、価値は同じだが…

苦労して得たものも、楽して得たものも、価値は同じだが… 人生

苦労して得たものも、楽をして得たものも、価値は同じ

苦労をして得たものも、楽をして得たものも、目に見える価値は同じです。

例えば、一生懸命仕事をして、苦労してコツコツ貯金をして得た1億円も、たまたま買った宝くじが当選して得た1億円も、表面的に目に見える価値は、同じ1億円という価値しかありません。

努力して、難関大学に入り、アルバイトと奨学金で大学を卒業し、厳しい選考をクリアして大企業に就職しても、大学の学費と生活費の一切を親に負担してもらい、コネで大企業に就職しても、傍から見れば、両者とも同じ大企業に就職した人という価値しかありません。

得ているものが同じであれば、他者から見たり、表面的に見れば、過程に関係なく、その価値は同一です。

また、結果が最重視されるような場合にも、苦労していようが、楽をしていようが、求められる結果を同じように出していれば、その価値に差異はありません。

過程がどうあれ、得ているものが同じであれば、その価値に差はないのです。

 

本人にとっては、過程がもたらす価値もある

同じものを得れば、過程はどうあれ、得たものの価値は同一ですが、得たもの以外に、過程がもたらす価値というものもあります。

過程そのものに価値があるというよりは、その過程を経ることで、同時に別のものを得ることもあるのです。

例えば、宝くじが当選して1億円を得た人にあるのは、宝くじを買うという過程です。
宝くじを買うという過程に何か価値があるでしょうか?
宝くじは買えば当たるかもしれないという教訓ぐらいは得るかもしれません。

一方、一生懸命仕事を頑張って、苦労してコツコツ貯金をして1億円を得た人はどうでしょうか?
その人には、一生懸命仕事を頑張る、苦労してコツコツ貯金するという過程があります。
この1億円は前者とは異なり、本人の努力によって得た1億円です。
後者には努力するという過程があるのです。
努力して1億円を得たのですから、本人は努力して結果を出したという、達成感や自信を得ることでしょう。

大学の学費と生活費の一切を親に負担してもらい、コネで大企業に就職した人の過程はどうでしょうか?
学業はそれなりに頑張ったかもしれませんが、金銭的な苦労をしていませんので、お金のありがたみや、身を削らなければ金銭を得ることができないということがわからない、”甘さ”をもったまま社会人になっているかもしれません。
また、コネで大企業に就職したのですから、”使えるものは使う”という知恵は得たかもしれませんが、自分で挑戦して得たものではありませんので、自信にはつながらず、もしかしたら、自分のことを過信してしまうかもしれません。

一方、努力して、難関大学に入り、アルバイトと奨学金で大学を卒業し、厳しい選考をクリアして大企業に就職した人はどうでしょう?
この人は、その過程で努力や忍耐ということを経験し、それが時に大切であることを理解しているでしょうし、自分で成し遂げたという達成感と自信を得ていることでしょう。

世の中、結果が全てですが、本人に結果以外に多くのものをもたらすのが過程です。

結果が同じでも過程が異なれば、本人には結果以上の価値が過程にあるのだと思います。

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