疲れるまでやれば、そこそこにはなれる

疲れるまでやれば、そこそこにはなれる 教訓

最近は、老若男女問わず、”疲れた”と言って、すぐに事をやめてしまう人が多いように感じますし、私もそんな人の一人なのですが、本当に疲れているのでしょうか。

 

疲れる前にやめてしまう

運動にしろ、仕事や勉強にしろ、何でもいいのですが、ある程度努力しなければならないことを”疲れた”ことを理由に、”今日はここまで”といってやめたり、”疲れが溜まっているので今日はやめておこう”とやらなかったりということはわりと多いのではないかと思います。

本当に疲れているのかといえば、実際はそれほど疲れているわけではありません。

余力を十分に残して、疲れる前にやめていまっていることが、思いのほか多いのではないかと思います。

努力は苦しみを伴いますが、人間は苦しいことからは一刻も早く逃れたいですし、実際以上に頑張った、疲れたと感じてしまいがちです。

だから、余力が十分に残っている状態であるにも関わらず、”疲れた”と言って辞めてしまうのです。

疲れるほど頑張ったと思っていても、実際にはたいして疲れてもいないのですから、それは努力をした気になっているだけで、実際にはほとんど努力していないに等しいのです。

 

疲れるまでやれば、そこそこにはなれる

実際には疲れていないのに、”疲れた”と言ってやめてしまう人が多いのですから、本当に疲れるほど努力すれば、どんなことでもそこそこにはなれると思います。

努力しているつもりで、実際には努力していない人も多いのですから、本当に疲れる程度に努力すれば、そこそこにはなれるのは当然かもしれません。

そして、限界まで努力すれば、すごい人になれ、限界を超えて努力すれば、超人にだってなれるかもしれません。

しかし、人間は余力が十分にあるにも関わらず、”疲れた”と言ってしまうのですから、努力しなければならないことに関しては、疲れを正確に認識できないのかもしれません。

そうであれば、疲れたと感じてからが、本番です。

疲れたと感じてからの、もうひと踏ん張りを、努力と言うのかもしれません。

疲れたと感じていても、実際には余力は十分に残っているのですから、自分の意思さえあれば、もうひと踏ん張りなんて、やってみれば意外に余裕だったりします。

たぶん、そのひと踏ん張りが足りないから、いつまでもうだつが上がらないのです。

無理をする必要はありませんが、ひと踏ん張りです。

そして、ひと踏ん張りを継続して、そこそこのぐらいにはなりましょう

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