みんな心が平穏でいたいだけ

みんな心が平穏でいたいだけ 人生

ゴールデンウイークも終わり、いつにもまして憂鬱な月曜日を迎えている人も多いことでしょう。

日常は何故こうも憂鬱なのでしょうか。

 

常に心を動かされている

人は社会に出て、他者と関わり生きていると、常に心を動かされています。

もちろん、心を動かされるだけで憂鬱になるということはありません。

心を動かされて、愉快、爽快になることだってあります。

では、どんな風に心を動かされると、憂鬱になるのでしょうか。

それは、心をざわつかせるとか、心に波風を立てられるといったぐあいに心を動かされると憂鬱になってしまうのです。

心躍る、心が躍動するといったように心を動かされれば、愉快、爽快になるのでしょうが、日常生活の中でそういったことは、あまり起きません。

あまり起きないというよりは、起こさないようにしているのかもしれません。

心が動けば、その良し悪しに関わらず、精神的に消耗する部分はありますし、日常に支障をきたす場合もあるからです。

しかし、心をざわつかせるとか、心に波風を立てられるということには、注目せずにはいられません。

心をざわつかせるとか、心に波風を立てられるということは、簡単に言っていしまえば、心配や不安を心に抱くということです。

心配や不安を放置すれば、自分にとっては、さらに心が平穏でいられなくさせられるリスクとなります。

だから、これ以上、心を動かされないように、小さなこと心配や不安にも注目してしまい、ちょっとしたことで、心がざわつかせられ、心に波風が立つという悪循環に陥っていると言ってもいいでしょう。

 

心を動かすのは自分であり他者でもある

では、心を動かすのは誰でしょうか。

それは自分です。

自分がちょっとしたことにも過敏に反応して、心を動かしてしまっているのです。

人はそれほどまでに、心配や不安といったリスクに対して弱いのです。

心配や不安といったリスクを回避して、それなりに平穏無事に過ごすことが至上とされる風潮や教育の結果なのかもしれません。

反応のきっかけとなるのは誰でしょうか。

それは他者です。

他者がいなければ、反応する刺激がないのですから、心が動くこともありません。

ですので、心を動かすのは自分に因るところも大きいのですが、他者なくしては動かないとも言えます。

 

心穏やかでいたいだけ

人は、自分と他者によって心を動かし続けています。

しかも、ポジティブな方向への動きというよりは、ネガティブな方向、心をざわつかせ、心に波風が立つといった方向への動きが多くなっているのです。

その為、心が疲弊してしまっているのでしょう。

人が憂鬱になった時には、その活動を低下させ、他者との関りも減少すると思います。

それは、心を動かす刺激を低下させ、疲弊した心を動かさずに回復を促すためだとも言えます。

人は社会に出て、他者と関わっていれば、常に心を動かさずにはいられません。

みんな、心がざわつかず、心に波風が立たず、平穏に過ごしたいだけなのです。

結局、今の人が求めるのは、心が平穏であるということだけなのかもしれません。

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