人は、多かれ少なかれ、周囲の人と自分を比較して優劣を判定し、序列をつけています。
しかし、それをしたからといって、あなたが優れた人間になれるということはありません。
周囲の人を見下すわけ
周囲の人を見下す人は驚くほど多いです。
ほとんどの人が、多少なりとも周囲の人を見下しています。
そして、この見下すという行為は、世間一般で言う、社会的序列等で底辺と言われる層では特に活発です。
底辺と言われる人同士で見下し合いをしていて、醜いと感じることさえあります(私もそんな醜い人間の一人です)。
人はなぜ、この見下すという行為をするのでしょうか?
それは、劣等感の補償でしかありません。
人は誰もが、自分の存在価値を認めてほしいのです。
存在価値を自分が満足できる程度に認めてもらえないから、劣等感を持つ。
劣等感を持つと、自分は他者より劣っている、存在価値のない人間だと自分で思ってしまう。
それを受け入れてしまうと、生きることができなくなってしまうので、他者を見下し、”あいつよりは存在価値がある”と思いたい。
だから見下すという行為を行うのです。
底辺層に見下すという行為が多いのは、彼らが、社会から価値が低いと評されているからです。
社会から、価値が低いと評されているからこそ底辺などと言われるのですが、それを受け入れてしまっては、彼らは社会の中で生きていけなくなってしまいます。
だからより底辺を求めて、底辺同士で見下し合いを行うのです。
周囲の人を見下したって、優れた人間にはなれない
周囲の人を見下したところで、あなたが優れた人間になれるわけではありません。
見下したからといって、あなたに何か能力が身に付くわけではありません。
底辺同士で、見下し合い、”あいつより自分が上だ”と思ったところで、底辺であることには変わりはないのです。
五十歩百歩、どんぐりの背比べと鼻で笑われるだけです。
以前、「類は友を呼ぶ」ということについて書きましたが、あなたの周囲にいる人間は、あなたの類友です。
周囲の人間を”レベルが低い”などと見下したところで、あなたのレベルも周囲の人と大差ありません。
それで、”あいつらより上だ”などと思って何の意味があるのでしょうか。
恥ずかしく、愚かで、醜いだけです。
そんなことばかりに尽力しているから、いつまでの底辺の無能な人間なのです。
自分が存在価値を認められるような優れた人間になりたいのなら、無意味な見下し合いなど、さっさとやめるべきです。
あなたが見下すことをやめても、あなたの周囲の人間はあなたを見下すことをやめないでしょう。
そんな時は「考えない、争わない、相手にしない」の精神です。
今すぐ、無駄なことに労力を注ぐことをやめて、優れた人間になるべく、自分を磨くべきです。
その差が、将来の大きな差になります。
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