善い行いは、善い行いの連鎖を生む

善い行いは、善い行いの連鎖を生む 教訓

善い行いを見ると、善い行いをしようと思える

先日、電車で若い男性が財布を落とす場面に遭遇しました。

若い男性は財布を落としたことに気づかないまま電車を降りたのですが、すかさずおじさんが、「お兄さん、財布落としましたよ」と声をかけ、財布を拾い渡していました。

若い男性は、おじさんの声掛けにも気づかず、おじさんが大きな声で何度か「お兄さん」と呼んだことで、若い男性はようやく気づいたのです。

それほど混雑した電車ではありませんでしたが、見て見ぬふりをしていた人もいたことでしょう。

そんな中での、おじさんの善い行いは、見ていて気持ちの良いものでしたし、自分自身もそういうことができる人間であろうと、思わされました。

他人の善い行いを見ても、何も思わない人もいるかもしれませんが、多くの人は、目の前で、他人の善い行いを見れば、自分もそういう人間でありたいと思うのではないでしょうか。

 

善い行いは、善い行いの連鎖を生む

さて、おじさんが若い男性の財布を拾う場面を目撃した後、私は、乗り換えでホームで電車を待っていたのですが、私の目の前に並んでいた方が、コートのポケットからスマホを出した際に、パスケースを落とすという場面に遭遇しました。

自分が他人の善い行いを見た直後に、同じような場面に遭遇するとは思っていなかったので、少し驚きました(何か試されているような気さえしました)。

私の目の前に並んでいた方は、パスケースを落としたことに気づく様子もなく、少し離れて、その方の隣にいた方も、気づく様子はありません。

私は、ほとんど躊躇うことなく、パスケースを「落としましたよ」と拾って渡すことができました。

事前に財布を拾ったおじさんを見ていなかったら、”誰か気づくだろう””誰か拾ってあげるだろう”と、見て見ぬふりをしていたかもしれません。

財布を拾ったおじさんの行動を見ていたからこそ、躊躇わずにできた行動だったと思います。

このように、善い行いは、他者に善い行いをする勇気を与えるものだと思います。

ともすれば、偽善だなんだと邪な目で見る人も多い中で、当たり前のように善い行いをするということを躊躇ってしまうこともあると思います。

しかし、あなたの善い行いが、他の人の善い行いを生むきっかけになることだってあるのです。

善い行いをして恥ずかしい事なんて何もありません。

自信を持って、善い行いをしてほしいと思います。

それがきっかけとなって、あなたの周りで善い行いが多く生まれるかもしれません。

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