できない人ほど、できる人を認めない

できない人ほど、できる人を認めない 教訓

世の中には、いわゆる”できる人”と言われる人が存在します。
その”できる人”は、実際に”できる人”かどうかは別としても、周囲の人から”できる人”と認識されており、そう認識させるだけの何かを持っているのですから、それだけでもすごい事だと思います。

しかし、中には”できる人”を認めない人がいます。
それは、いわゆる”できない人”です。
できない人ほど、できる人を認めない傾向にあると思います。

 

できない人とは?

”できない人”とは、どういう人かを定義するのは難しいものです。
できる、できないということは、その時代や置かれた環境、個人の価値観などによっても判断基準が異なるからです。

あえて言うのであれば、”できない人”というのは、実際にできる、できないは別として、周囲の人から”できない人”という認識を持たれている人のことでしょう。

”できない人”は実際にできないのかというと、必ずしもそうではありません。
例えば、仕事において、それなりに結果を出している人でも、”できない人”と思われている人は少なくありません。
評価というのは、関係性構築力(「仕事ができないという妄言」等をご参照ください)に依存しますので、同僚と十分な関係性が築けていない場合、実際の仕事のできに関係なく”できない人”認定されていることもあります。

ですので、実際の出来・不出来に関わらず、周囲から”できない人”と認識されている人が、”できない人”なのです。

逆もまた然りで、”できる人”は周囲から”できる人”と認識されている人というだけのことで、必ずしも能力的に優れているとは限らないのです。

周囲の多くの人から”できない人”と認識されるのだから、実際に”できない人”なのだろうという意見もあるかと思います。
実際に”できない人”の場合もあるのでしょうが、そもそも、できる・できないに明確な判断基準はありません。
先にも述べましたが、評価は関係性構築力に依存し、関係性構築力が低い人は、周囲の多くの人と、良好な関係を築くことが出来ませんので、その結果、周囲の多くの人から”できない人”認定されるということにすぎません。

また、人は自分が思う以上に他人に関心を持っていません。
そのため、その組織なり、集団なりで権力・影響力等何かしらの力を持っている人が、あいつは”できない人”と認定すれば、その評価に流される傾向にあります。
だから、周囲の人が”できない人”という共通認識を持つ場合があるのです。

いずれにせよ、”できない人”は周囲からそう思われている人というだけのことなのです。

 

できない人が、できる人を認めない理由

”できない人”と認識されている人が共通して持つのが劣等感です。

人は他者に認められてこそ存在できる(「人の目が気になる」をご参照ください)のですし、「自信は他者から与えられるもの」なのです。
周囲から”できない人”と認識されているのですから、存在価値を否定され、劣等感が強くなるのもうなずけます。

できない人が、できる人を認めない理由はここにあります。
”できる人”を認めるということは、自分の劣等感をますます強くして、存在価値を自分で否定することになるからです。

”できる人”の対極にいる”できない人”の自分が”できる人”を認めるということは、自分は”できない人”=存在しなくていい人ということを、自分で肯定することになります。

一言で言えば、自分で自分の存在を消すことにつながるのです。

そのため、できない人ほどできる人を認めない、認めることができないのです。

 

できない人は、自分を認めてくれる人を探そう

”できない人”の明確な定義はないので、所属する組織や集団、自分を取り巻く人が変われば、その評価が変わる可能性はあります。

全く同じように振舞っていても、ある集団では”できない人”と思われ、別の集団では”できる人”と思われることもありえるのです。

”できない人”は劣等感から、さらに劣等感を植え付けられることを恐れて、行動範囲や交友関係が狭くなりがちです。

しかし、その狭い中で生きているだけでは、いつまでも”できない人”のままです。

今のままの自分でも”できる人”と認めてくれる環境だってあるかもしれませんので、”できない人”ほど、行動範囲や交友関係を広げ、自分を認めてくれる人を探すべきだと思います。

自分を認めてくれる人や環境が見つかれば、それが支えとなって、”できない人”と認識されている環境下でも、意外と頑張れたりします。

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