足掻いた自分を曝け出す。それが人の魅力なのかもしれない。

足掻いた自分を曝け出す。それが人の魅力なのかもしれない。 人間

足掻いた自分を曝け出す

人は、皆、良い格好しい、格好をつけたいものだと思います。

誰だって、他者からは良く見られたいものです。

スマートに格好良く振舞って、素敵だと思われたいものでしょう。

だからこそ、足掻く姿を他者に曝け出すということができません。

日本では努力や頑張ることは推奨されるのに、努力や頑張りは隠すことが美徳とされる風潮が、いまだにあるように思います。

足掻くということは、悪い状態から抜け出そうと、活路を見出そうと、必死になって努力して、頑張るということです。

だから、足掻く姿を見せるのは、スマートではないと思われるのかもしれません。

また、足掻いて、結果が出なかったときに、恥をかくから、足掻く姿を曝け出せないのかもしれません。

勉強をしているくせに、勉強をしていないと言って、テストに臨むそれと同じです。

足掻くことが格好悪い事、みっともないことのように見なされるから、足掻くことを隠したり、潔いという言い訳をして、足掻くことをしない人が多いように思います。

人間誰だって、社会の中で生きている時点で足掻いているのです。

悪足掻きでもしないと生きていけないのが世の中です。

もっと足掻いている姿を曝け出せても良いのではないかと思います。

 

足掻く姿こそ人の魅力になるかもしれません

足掻く姿を見て、どう思うでしょうか?

格好悪い、みっともないと思うかもしれません。

そう思っているあなたも、足掻いて生きている一人です。

あなたも、格好悪くみっともない人なのでしょうね。

個人的には足掻く姿は嫌いではありません。

例えば、野球のイチロー選手。

プロ野球選手として生き残ろうと、足掻いていますよね。

普通に格好良いし、すごいと思わないでしょうか。

足掻く姿というのは、多分、その人の生き様そのものなのだと思います。

必死な生き様を見せられて、何も感じないという人は多くはないと思います。

だから、足掻く姿は、その人の生き様そのもの、人としての魅力そのものなのではないかと思うのです。

自分を出せないという人も、足掻く姿を曝け出せば、人としての魅力をアピールできるかもしれません。

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