自分の天職を探しているとか、自分の天職がわからないという人がいます。
天職なんてあるのでしょうか。
天職なんてわからない
てんしょく【天職】
〔天から与えられた職務の意〕
① その人の性質・能力にふさわしい職業。 「教師を-と考える」
② 神聖な職業。特に、天子が国家を統治する職務。
③ 江戸時代の遊女の階級の一。天神てんじん。
『大辞林 第三版』(三省堂)より引用
ここでいう天職は①のことですが、「その人の性質・能力にふさわしい」ということは、誰が決めるのでしょうか。
決して、天が決めてくれるわけではありません。
これは、本人が自分の性質・能力にふさわしいと主観的に感じるか、他者が勝手に、「その人の性質・能力にふさわしい」と他者の主観によって判断するしかありません。
言い換えれば、天職なんていうのは、自分なり他者が勝手にそう思い込んでいるだけのものに過ぎないのです。
そう考えれば、自分の思う天職と、他者の思うその人の天職は異なるでしょうし、結局、天職が何かなんてわからないのだと思います。
上手くいけば天職
では、何をもって天職というのでしょうか。
基準は上手くいっているかどうかによるのではないかと思います。
天職は「その人の性質・能力ふさわしい職業」なのですから、上手くいっていない職業を「性質・能力にふさわしい」と感じることなどできないと思います。
上手くいっているからこそ、性質・能力にあっていると自分が感じるなり、他者が評価するのです。
本当は、天職なんてものはなくて、上手くいっていれば天職と感じられるだけのことなのではないかと思います。
転職をしても、天職に出会えるとは限らない
天職なんてわからないし、天職なんてものはないのですから、転職をしたって、天職に出会えるとは限りません。
上手くいかない仕事を辞めて転職をして、そこで上手くいけば、それを天職と感じることはあるかもしれませんが、転職が全て上手くいくなんてことはありません。
自分の性質・能力にふさわしい職業を求めて、自己分析なり何なりをして、自分に合っていそうな職業に転職したとしても、転職先で上手くいかなければ、その転職は失敗だと感じるでしょうし、天職だなんて感じられるはずもありません。
仕事で上手くいくかどうかは、自分の性質や能力だけによるものではありません。
職場の人間関係なども、仕事で上手くいっているかどうかという感じ方に影響を与えますので、仕事で上手くいっていると感じるには他者の要因も大きいのです。
仮に自分の能力や性質に合っている職業に就いたとして、その職場の人間関係が最悪だった場合、その仕事が上手くいっていると感じられるでしょうか。
仕事内容自体は悪くないが、あまり上手くいっていないなと感じる人が多いのではないかと思います。
そんな仕事を天職だと思える人は、そう多くはないのではないかと思います。
天職なんてものは、たまたま上手くいっている仕事を後付けで、天職と言っているに過ぎません。
最初から天職があって、その仕事に就けば幸せになれるなんてものではないのです。
今就いている、嫌でしかたがない仕事が、実は自分の性質や能力にはあっている仕事で、人間関係等の要因で上手くいっていないと感じさせられているから、本当は天職なのに、天職と思えないということだってあります。
人は、上手くいけば天職だと思いますし、上手くいかなければ転職を考える、結局は今の状況を自分自身がどう感じているかということが全てなのかもしれません。
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