何となくですが、日本人は一つのことに集中するということを美徳としている部分があるように感じます。
それはそれでいいのですが、世の中で成功している人は、あれもこれもとやっている人も多いように思います。
夢が一つしか叶わないなんて誰が決めた?
人生において、大きな夢や目標が一つしか叶わないと思っている人が多いのではないでしょうか。
子どもの頃、将来の夢を聞かれて、いくつもの夢を答えたら、”夢がたくさんあって良いね”などと言われるかもしれないが、成長していくにつれ、夢を一つに絞ることを強要されていくように感じます。
夢は一つしか叶わないということが、さも当たり前であるかのような価値観が蔓延しているように感じるのです。
例えば、メジャーリーグで活躍している、大谷翔平選手が、二刀流でやっていくことに関して、投手か野手のどちらかに絞ってやっていく方が良いなどという議論は、彼がプロ野球選手になる頃にはよくあったように思います。
それも、夢が一つしか叶わないという価値観が蔓延していることを象徴している一つのエピソードではないかと思います。
プロ野球という厳しい環境の中で、二足の草鞋を履いて、二兎追うのは容易ではないからというのが理由なのでしょう。
人生において、自分の夢なり大きな目標なりを一つでも叶えるというのは、確かに難しいのかもしれません。
一つの夢も目標も叶わなかったという人だって多いのでしょうから、夢や目標は一つに絞って、それに邁進するほうが良いという考えなのかもしれません。
それは、一理あるのかもしれませんが、夢が一つしか叶わないということではありません。
夢が一つしか叶わないなんて誰が決めたのでしょうか?
誰も決めていません。
一つの夢も叶えられない人もいるかもしれませんが、複数の夢をかなえている人だっているかもしれません。
二足の草鞋を履いて、二兎追う
夢を一つに絞る必要なんてありません。
大谷翔平選手のように、二足の草鞋を履いて、二兎追って、結果を残している人だっているのです。
沢山の夢を持って、沢山の夢に邁進し、沢山の夢を叶えるほうが素晴らしい人生ではないでしょうか。
一つの夢に絞って、その一つの夢すら叶わなかったらどうするのですか?
その一つの夢が叶わないリスクだってあるのですから、複数の夢を持ったって良いと思いませんか?
”そんなの無理”と笑われるかもしれませんが、やってみなければわかりません。
二足の草鞋を履いて、二兎追って二兎とも得ればいいんじゃないかと思うのです。
ただし、それには、相当な覚悟と努力が必要なのも事実だと思います。
二足の草鞋を履けば歩きづらいでしょうし、二兎追えば、どちらも中途半端になるかもしれません。
一足の草鞋を履いて、一兎を追うほうが、容易いということは想像に難くないと思います。
ただ、そうしなければならないということではないということです。
二足の草鞋を履けば、一足が壊れても、もう一足があります。
二兎追えば、一兎を逃しても、もう一兎を追うことだってできますし、上手くいけば二兎とも得る可能性だってあるのです。
二足の草鞋を履いて、二兎追うというのも、悪い事ばかりではないのです。
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