あきらめたらそこで試合終了ですか・・・?

人生
 

「あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」(スラムダンク第27巻、井上雄彦、集英社、148ページより引用)

バスケ漫画の名作の大好きな名言の一つです。
私も単行本を全巻持っていた漫画ですね。

ただ、あきらめてもそこで試合は終了してくれないのです。

あきらめた時点で勝敗は決する

スラムダンクの中ではこの意味で用いられたセリフだと思います。
こう書くと安っぽく見えますが、最後まであきらめないことの大切さを教えてくれるセリフですね。
この名言を思い出し、自分を奮い立たせている人もいるかと思います。
ただ、あきらめた時点で確かに勝敗は決しますが、試合自体は即終了とはいかないのです。

あきらめても試合は終了してくれない

あきらめたらその時点で勝敗は決してしまいますが、試合はタイムアップの時まで終了してくれません。
あきらめた側からしたら、これはけっこうきついです。
負けが決定しているにも関わらず、惨めな気持ちで、醜態をさらしながらタイムアップの時を待つしかないのです。
「一矢報いる」という言葉がありますが、いたたまれない気持ちの中、自分を奮い立たせ矜持を守るために、こういった言葉があるのだろうと思います。

試合を人生に置き換えてみると…

なんだか少し怖くなってきます。

人生の勝ち負けというのは規定するのが難しいですが、一般的な社会的価値観に沿って考えれば、勝ち負けというのは確かに存在します。
勝ち組、負け組などという言葉があるのがよい証拠です。

「私は負け組だけど、私の人生こんなもん」とあきらめている人、最期の時(試合終了)まで、消化試合のような人生を送るのだろうなと漠然と考えている人もいるのではないのでしょうか。

理想(勝ち)を目標にしていても、ある程度年齢を重ね、何となく先が見えた気になっているとこう考えてしまうのも無理のないことだと思います。
言い訳でしかありませんが、いつまでも叶いそうにない理想を持って現実を生き続けるのは容易ではありませんので。
理想を置いておき、あきらめ、負け組と言われようと現実をしっかり生きるというのはとても立派なことです。恥ずべきことではありません。
ただ、自分の中でこんなはずではない、まだまだやれるという思いがくすぶるのです。

そういった思いを持って人生という長い試合をどう生きるかは自分次第なのです。

 

 

 

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