先日、某アイドルの不祥事の話題が取り上げられ、そのアイドルは、アルコール依存なのではなどということが報道されていました。
学術的には当たり前のことなのかもしれませんし、学術的にはどういわれているのかは存じ上げないのですが、依存は不安から生まれるとふと感じました。
依存と不安
私は、お酒も大好きですし、喫煙者でもあります(こう書くと、今の世の中、それだけで自分がクズ人間のように思えてくる不思議)。
以前といってもかなり前ですが、仕事をはじめ、いろいろと上手くいかなかったことがあるのですが(今も特段上手くいっているとも思っていませんが…)、その頃から、毎晩、晩酌をするようになりました。
酔うと、良い気分になるタイプなので、嫌なことを忘れるために、お酒を飲んでいたと思います。
お酒の味が語れるほど、繊細な味覚を持っているわけではありませんので、酔うためにお酒を飲んでいたのでしょう。
そこから、毎晩、晩酌をすることが習慣化し、別に嫌なことがあるわけでもない時でも、お酒を飲まないと落ち着かないというか、一日の締めとか区切りみたいな感じで、体調がすぐれない時でも、晩酌を欠かさないという時期がありました。
お酒を飲むと、翌日、身体がきつい時がありますので、最近は毎晩のようには飲んでいませんが、それでも、嫌なことがあった時等は、飲んでいることもけっこうあります。
喫煙に関しては、初めは興味本位ですが、喫煙所でのコミュニケーションであったり、何となく間が持たない時に、間を持たせるための、コミュニケーションツールとしてけっこう役に立つこともあるので、何となく止められないという状況が続いています。
振り返れば、お酒は、飲まないと嫌なことが忘れなれないという不安、喫煙は止めれば、それまであったコミュニケーションツールがなくなるという不安から、続けているのだと思います。
結局、不安が依存を生み出しているのだと、自分を振り返って思うのです。
もちろん、お酒や喫煙だけでなく、不安からくる依存というのはあると思います。
例えば、スポーツ選手のルーティンというのがあります。
ルーティンをすれば、いつも通り上手くできるという、一つの精神状態とか、リズムを整える行動だと思うのですが、ルーティンをすれば上手くいくからやるのです。
裏を返せば、ルーティンをしなければ、上手くいかないという不安があるということだと思います。
ルーティンなんて、傍から見れば、ヘンテコな行動に見えることだってありますし、それに意味があるとは思えないものです。
そのルーティンを欠かさないのですから、これも、捉え方次第なのかもしれないのですが、不安からくるルーティンへの依存と捉えることができると思うのです。
人の癖なんかも、同じなのかもしれません。
不安を解消するためにしていたことが、習慣化したものが癖なのかもしれません。
そう考えると、人の傍から見たら変わっていたり、あまり良くないと思われる言動にも関わらず、繰り返されるものというのは、不安からくる依存と捉えることができるかもしれません。
習慣化してしまっているものを解消するのは、難しいかもしれませんが、自分が止めたいと思っていても繰り返してしまう言動や癖等は、自分の不安に目を向け、その不安を自覚したり、解消したりすることで、止められたり、改善したりするのかもしれません。
コメント