独創と模倣

独創と模倣 人生

独創と模倣は問題を生むことがあります。

例えば、以前、東京オリンピックのエンブレムのデザインにいわゆるパクリ問題が出たことなどは記憶に新しいかもしれません。

 

独創と模倣

どくそう【独創】
( 名 ) スル
他人の真似をせず、自分一人の考えで物をつくり出すこと。また、そのもの。 「彼が-した技法」 〔明治期につくられた語〕

『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

もほう【模倣・摸倣】
( 名 ) スル
まねること。にせること。 「生活様式を-する」 「西欧芸術の単なる-にすぎない」

『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

 

独創とは、オリジナル、唯一無二、何も無いところから全く新しいものを作り出すといったイメージがあり、それは素晴らしいこと、すごいことと言ったように良いイメージを持たれることが多いと思います。

一方、模倣は、レプリカ、イミテーション、インスパイアなども当てはまるように思いますが、オリジナルなものがあって、それを真似て、改良や自分なりに少し手を加えたものと言えるのかもしれません。

模倣は、独創とは異なり、”パクリ”などと言われるように、良くないイメージのほうが先行しがちです。

もちろん、著作権等といった法律云々のこと、金銭的なことが絡めばさらに、模倣は批判の対象となるでしょう。

しかし、独創、オリジナルと言われるものが、はたして本当に「他人の真似をせず、自分一人の考え」で作り出されたものなのかには少し疑問が残ります。

人は、生きていく中で様々なことやものから、知らず知らずのうちに影響を受けているものです。

自分では、”独創”と思ていても、それは、知らず知らずのうちに影響を受けていて、その記憶を独自の発想と気づかないうちに思い込んでいるだけかもしれません。

また、その”独創”は、気づいていないだけで、多くのことやものの真似をいくつも組み合わせて出来上がって、独創的に見えるだけのものかもしれません。

模倣といっても、同じ発想を同時に持つ人がいないとは言い切れません。

発表の時期が遅いか早いかだけで、独創が模倣になる可能性だってゼロではないと思います。

法律等の制約や規定がある場合は、それに準拠するしかありませんが、実際、実質の部分では何をもって独創とし、何を持って模倣とするかは非常に難しいと言えます。

 

模倣は独創に劣るか

模倣は、所詮はまねごとというイメージがありますので、模倣は独創に劣ると思われがちです。

しかし、模倣したものに、自分のエッセンスを加えることで、オリジナルよりもさらに良くなることだってあり得ます。

ただし、オリジナルよりもさらに良くなったとしても、得る評価は”パクリ”です。

これは、例えばデザインなど、よりオリジナリティが求められ、著作権等の問題が絡むものではしかたないとは思っています。

ただ、個人の思考や思想等の部分では、何も問題はないのではないかと思います。

他者の影響を受け、良いものは真似をすることで取り入れ、改良していく。

自分にとって良いと思うものを真似をすることで、どんどん取り入れていけば良いと思うのです。

他人の真似ばかりをして生きてきた人は、自分らしい人生を送りたいとか、主体性のない人生を送っているなどと思うのかもしれません。

他人のまねごとをしている人生は、他者から批判されるかもしれません。

それでも、それは、何も悪い事ではありません。

自分が見聞きして良いと思ったものを真似をするという選択は、あなたのオリジナルな選択です。

そうやって、良いと思うものをどんどん取り入れて、様々な真似を積み重ねていくことだって、立派なオリジナルな人生だと思います。

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