愚痴ほどくだらないものはない

愚痴ほどくだらないものはない 教訓

愚痴ばかりいう人がいます。
私も、愚痴っぽいほうなのですが、最近、知り合った人に愚痴ばかり言っている人がいて、愚痴ってくだらないなと改めて思い、愚痴っぽくならないよう気を付けたいと思いました。

 

愚痴とは?

ぐち【愚痴・愚癡】(名 ・形動 ) [文] ナリ 
① 言ってもしかたがないことを言って嘆くこと。 「 -を言う」 「 -をこぼす」
② 〘仏〙 三毒の一。物事を正しく認識したり判断したりできないこと。愚かであること。また、そのさま。痴。癡。 「あの-な性質から、根彫葉刻ねほりはほり聞咎めて/破戒 藤村」

『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

①の意味が一般的かと思いますが、愚痴というのは「言ってもしかたがないこと」なのです。

言ってどうこうなるものではなりません。

愚痴は言ってもしかたのないことを言うのですから、考えてもしかたのないことを考えることにもつながります。

以前、「考えてもしかたのない事は考えない」ということについて書きましたが、考えてもしかたのないことを考えてもメリットがないように、言ってもしかたのないことを言っても、何のメリットも、何の意味もありません。

ではなぜ、人は愚痴を言うのでしょうか?

 

愚痴を言う理由

どうしようもない、かわいそうな自分の状況をわかってほしいということなのだと思います。
その上で、同情してほしい、共感してほしい、慰めてほしい等々いろいろあるのでしょう。

しかし、同情してもらおうが、共感してもらおうが、慰めてもらおうが、どうしようもないしかたのない事なのですから、多少気分は晴れるかもしれませんが、どうにもならないのです。

中には、愚痴っておいて、同情すれば「同情するな」と怒り、共感すれば「お前に何がわかる」と拒否し、慰めれば「慰めてほしいわけじゃない」と非難する人もいます。

こういう人は、どうにもならないことを、他力本願でどうにかしてほしいと願っている人なのだと思いますが、どうにもならないことは、他人の力を借りてもどうにもなりません。

結局は、愚痴に関することを、どうにもならないにも関わらず、受け入れられていないということなのだと思います。

 

愚痴は聞いていると不快になる

愚痴は聞いていると不快になります。

言ってもしかたのないことを、言っているのですから、聞いているほうからしたら、本音は「あっそう」「だから」と言うしかないのです。

それにも関わらず、同情なり、共感なり、慰めなりをしないといけないのですから、愚痴を聞くのもけっこうな労力を要するのです。

これが親しい人ならまだ許せるかもしれませんが、愚痴をよく言う人というのは、それ以外の話題が乏しい人ですので、それほど親しくなくても、愚痴ばかり言ってきます。

そんな時は、それこそ「あっそう」「言ってもどうしようもないことを言って、どうしてほしいの」と言いたくなりますが、それを言えば角が立つので、耐え忍んで聞いているのです。

不快になって当然です。

 

愚痴ほどくだらないものはない

愚痴は、言ってもしかたのない事を言うという無意味な行為であると同時に、他人を不快にする行為でもあります。

愚痴に、意味に意味やメリットなどありませんから、くだらないものといって差し障りはないでしょう。

他者を、愚痴というくだらない行為に付き合わせるのは迷惑ですし、愚痴に嫌気がさして、人が離れていくかもしれません。

時には愚痴を言いたくなることもあるというのもわかりますが、ほどほどにしておくほうが、自分のためになるのだと思います。

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