楽して生きたい

楽して生きたい 教訓

誰でも、可能であれば、楽して生きたいのではないでしょうか。
毎日、嫌な仕事をして、やりたいこともできず、刺激のない日常を繰り返すことにうんざりしている人も多いことでしょう。

嫌な仕事をすることなく、やりたいこと、好きなことだけをやって過ごす、何もやりたくなければ何もしない、そんな毎日が過ごせたらなぁなんて思ったりします。

楽して生きたい人々

インターネットで検索すると、「楽して生きるには」、「楽して稼ぐ方法」、「楽して痩せる方法」などといった記事がたくさん出ててきます。

みんな、楽したいし、楽して希望を叶えたいのでしょう。
もちろん私もその一人です。

それらの記事の内容を実践して、楽になれるかと言われると、楽にはなれないでしょう。
それらの記事は全部嘘っぱちです。

全部嘘っぱちだというのは言い過ぎかもしれません。
その記事に書いてあることを実践することで、楽に希望を叶えた人もいるかもしれないからです。何を楽と考えるかは人それぞれですしね。
しかし、少なくとも、万人にとって「楽に〇〇する方法」というのはないです。
そんなものがあれば、みんなとっくに楽をしているはずです。
「楽に〇〇する方法」といった類の記事が散見されることもないはずなのです。

楽していい思いはできない

とどのつまり、現状では楽していい思いをする方法なんてない。
非常に残念ですが、それが現実なのだと思う。

楽して生きることも、楽して稼ぐことも、楽して痩せることも、楽していい格好をすることもできません。

結局、人はやったらやった分だけのものを得ることしかできないのでしょう。
ある程度勉強を頑張れば、ある程度の成績を残せるだろうし、一生懸命勉強を頑張れば、良い成績を残せる。
ダイエットも、ある程度運動すれば、ある程度痩せるし、たくさん運動すれば、たくさん痩せる。
仕事も、ある程度打ち込めば、ある程度の給料はもらえるし、必死で打ち込めば、昇給して多くの給料を得ることができるのだと思う。

才能、環境、遺伝等々によって、全ての人が10頑張れば、10得られるとは限らないと思うが、少なくとも頑張りによって得られるものの上限は決まってきます。

頑張っていても、何も得られていないという人は、自分の中の頑張りの基準が他と一致していないのだと思う。あなたが10頑張ったと思っても何も得られていないのであれば、他からみれば、頑張ったうちに入らないと見なされている、それだけのことです。他と基準が異なるのであれば、自分の基準を見直し、もう少し自分に厳しくする必要があるのかもしれません。

頑張って苦労した先に楽がある

私の友人に、同じところで、学生時代のアルバイトから始め、卒業後に正規雇用として数年勤務したのちに、独立して個人で仕事をしている者がいます。

とてもサラリーマンに向いているタイプではなかったし、友人がしていた仕事も、友人がしたいと思っていた仕事と全てが一致していたわけではありません。ただし、専門的な仕事であるため、そこで働いていれば、専門的知見を深めることができることは間違いありませんでした。
独立する際も、もちろん仕事がうまくいく保障なんてどこにもなかったわけですが、そのリスクを背負って独立したのです。

その友人は、独立して数年経ちますが、仕事もそこそこ順調そうで、結婚もしてそれなり生活もできているようです。
独立して、仕事を継続していく大変さはあるようですが、それでも、自分のやりたいこともできているし、雇われていた頃に比べればずいぶん楽だと言っていました。

私から見ると、その友人は順風満帆でうらやましい限りです。また、その友人はいわゆる”持っている人”といったタイプの人なので、自分と比べると人生イージーモードで羨ましいと、妬む気持ちが全くないわけでもありません。

しかし、その友人は、自分の専門性を磨くためにコツコツと頑張ってきたのは事実だろうし、独立するリスクを背負いながら、仕事を継続する苦労もしてきたのだろうと思います。

かくいう私は、楽をすることを考え、頑張ることや苦労することはできるだけ避けてきました。結局何も積みあがっていませんし、毎日、今日が人生で一番つらい日を繰り返しながら、生き続けているようなものです。

結局は頑張りや苦労を積み重ねた先にしか楽は訪れないのかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました