人付き合いの極意?

人付き合いの極意? 教訓

私は以前、学生時代に友人であった人に、人付き合いの極意を教えてもらったことがある。

道化を演じる

太宰治の「人間失格」に習い、道化を演じることが、手っ取り早い方法だと教えられた。

そうすることで大抵の人間関係はそつなくこなせるのだそうだ。

どうけ【道化】
①人を笑わせるおかしなしぐさや言葉。また、それをする人。滑稽こつけい。おどけ。 「 -を演じる」 「 -に徹する」 「 -役」
②「道化方」の略。
以上、『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

その友人は、人を見下したようなところがあり、自称人間嫌いであったが、その割には交友関係は広く、いわゆる人気者、面白い人であった。
人付き合いが得意ではない私からすると、人間嫌いの割に人気者であった、その友人がうらやましく感じたこともある。

しかし、卒業後は誰とも連絡を取っていないようだ。
学生時代を、そつなくそれなりに過ごすために、割り切って道化を演じていたようである。

人を楽しませる役を徹底して演じているわけだから、人気者にならないわけがない。
ある意味人付き合いをうまくやるための極意と言っても過言ではないだろう。

道化になりきれるか?

私はなり切れなかった。

原因の一つは恐らく変なプライド?のようなものがあったからだろう。
自分は、道化を演じるような人間ではないというプライド?があったのではないかと思う。
また、自分はこういう人間だ、人からこういう人間だと見られたいという願望があり、道化を演じることでは、その願望を叶えることができないと思ったからなのであろう。
もっと端的に言えば、自分が優れた人間なのだというプライド?や、良い人間だと見られたいという願望が邪魔をして、道化を演じることができなかったのだと思う。

もう一つの原因は、道化を演じた先の失敗を恐れたからであろう。
自分が上手く道化を演じることができるかもわからないし、私が道化を演じたからといって、それが周囲の人に受け入れられるとは限らない。
だから、道化を演じることができなかったのであろう。

変なプライドや恐れを捨て、道化を演じれば、苦しい人付き合いが楽になるかもしれない

人付き合いを苦しいと感じている人は、その人間関係はあなたにとってうまくいっていないものなのであろう。

どうせうまくいっていないのだから、失敗を恐れずに道化を演じたら、その人間関係がうまくいくかもしれない。

また、「自分って何でしょうね」の中でも述べたが、自分がこう見られたいという願望と、他者が見るあなたが一致するとは限らないし、一致していないからこそ、その人間関係を苦しいと感じているのでしょう。どうせ、他人はあなたが望むようにはあなたを見てくれないのですから、変なプライドは捨てて、道化を演じることに徹するのも良いかもしれません。

特にどうでもいいと思う人間関係や、そつなく表面上うまくいっていればいい人間関係の中では、道化を演じると、そこまで人付き合いを苦しく感じなくて済むかもしれませんよ。

ただ、先にも述べましたが、道化を演じていた友人は、どこか人を見下していたところがありました。人を見下したうえで初めて道化を演じることができたのかもしれませんね。

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