家族のために、やりたくもないくだらない仕事を頑張っているという人もいることでしょう。
人は、案外、自分のためには頑張れなくても、他人のためになら頑張れるというものなのかもしれません。
頑張る理由を求めて
人が頑張るためには、頑張る理由が必要です。
理由がなければ頑張ることはできません。
それは、理由が頑張るためのモチベーションとなるからです。
何の理由もなしに頑張っている人なんているでしょうか?
もしかしたらいるのかもしれませんが、私は見たことがありません。
頑張っている人は皆、それなりに頑張る理由を持っています。
理由は人それぞれです。
他人には理解されなくても、それが理由として本人の中で成立していれば、頑張れるのでしょう。
しかし、自分を主体とした理由では、頑張れないこともあったりします。
自分のためには頑張れない
自分のためには頑張れないという人は、意外に多いのかもしれません。
それは、頑張るということは苦痛を伴い、いくら頑張る理由があっても、強制力が弱い場合があるからです。
例えば、金持ちになって良い生活がしたいとの理由で仕事を頑張っている人がいたとしましょう。
良い生活でなくても、人並み程度の生活ができる程度のお金を得たら、頑張ることができなくなってしまう場合があります。
それは、自分がその状態に満足してしまえば、頑張る理由がなくなってしまうからです。
頑張るということは苦痛を伴うのですから、ある程度のお金を得たら、満足してしまい、あえて苦痛を選択するということはでき難いものです。
自分でお金持ちになりたいと理由を持っていたとしても、自分が満足すればその理由に強制力はありません。
自分のためを理由とすれば、言い訳をすることも、頑張らない理由を探すことも簡単です。
自分のためを理由として頑張るには、よほど追い込まれた、頑張らざるを得ない状況で理由を持たない限り、限界があるのかもしれません。
他者のためには頑張れる
自分のためには頑張れなくても、他者のためには頑張れるという人もいます。
それは、他者を理由とした場合、自分を理由とした場合よりも強制力があるからです。
他者を理由とすれば、自分が十分頑張ったと思っても、他者が十分と認めなければ、頑張ったことにはなりません。
他者により、頑張っても頑張っても、さらに頑張ることを強制されるのです。
これは、ある意味、苦しいことなのかもしれません。
頑張ったって認めてもらえないのです。
苦痛を伴う頑張ることを強制されるのです。
しかし、他者のために頑張るということは、ある意味、楽なことです。
例えば、家族のために頑張って仕事をするという人がいたとしましょう。
この人が家族を失えば、頑張る理由はなくなります。
適当に仕事をして、会社をクビになり、借金を背負って、人生が破綻するかもしれません。
家族が居続ければ、頑張る理由は自分で生み出さなくても、あり続けるのです。
モチベーションが他者によって保たれるのですから、ある意味、楽かもしれません。
余計なことは考えないで、目の前の仕事を頑張ればいいのですから、それはそれで楽と言えます。
結局、人は理由がなければ頑張れないし、力を持った理由を与えてくれるのが他者なのです。
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