世の中には、流されて生きるている人も多いことでしょう。
良い悪いは別として、流されて生きるほうが楽なのかもしれません。
流されて生きる人
流されて生きるとは、自分で選択をせずに生きるということです。
例えば、就職の際に、自分で就職したい業界、就職したい会社を選択する場合は、自分の意思で生きていると言えるでしょう。
一方で、就職支援する人などなんでもいいのですが、他人に勧められるがまま、就職する業界・会社を決めているような人は流されて生きていると言えます。
就職に限らず、自分の意思で選択して生きる場合は、自分の意思で生きていると言えますし、他人に勧められるがまま、他人の意思を優先する場合は流されて生きていると言えるのです。
流されて生きるほうが楽
流されて生きるほうが楽ではあると思います。
それは、言い訳ができるからです。
自分の意思で選択する場合は、言い訳ができません。
失敗しても、それは選択した自分自身の責任です。
誰の所為にすることもできません。
一方で、流されて、自分の意思で選択しなかった場合は言い訳ができます。
それを勧めた他人が悪いと、失敗しても他人の所為にできるのです。
他人の所為にできるのですから、選択をする苦悩というのもありません。
流されて生きるほうが、ある意味では楽なのです。
流されて生きると愚痴しか出ない
流されて生きるのは楽ではありますが、その人生が充実するとは限りません。
もちろん、流されて上手くいく場合もあるのでしょうが、流されて生きる人は、少々愚痴っぽい気がします。
流されて、楽をして生きてきたくせに、現状に不平不満ばかりいっている気がします。
その不平不満自体が、他人の所為にする言い訳なのですが、不平不満を言うぐらいなら、自分で選択すればいいのにと思わずにはいれません。
不平不満を言ったって、現状は何も変わらないのです。
不平不満を言わないでいいように、流されずに生きるということを選択すればいいのです。
しかし、流されて生きる人は、決してそれをしません。
楽な生き方を知ってしまっては、そこから抜け出すことは容易ではないのです。
きっと、流され続けて、愚痴を言い続けて生きていくことでしょう。
そんな生き方が、悪いわけではありません。
それも、一つの生き方です。
愚痴をいいながらも、どこかで満足しているから、流されて生きることを辞めないのかもしれません。
どんな生き方を選択するかは自分次第です。
流されて生きるもよし、自分の意思で生きるもよしです。
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