流される人

流される人 人生

2017年7月2日(日)に東京都議選の投開票が行われ、結果、都民ファーストの会の大勝、自民党の惨敗、という結果となった。

私は、特に支持政党があるわけではないのですが、この選挙結果を見て、つくづく日本人は流される人が多いな、と思わずにはいれませんでした。

流される人々

日本は伝統的に協調性や和を以て貴しとなす精神が重視される社会です。
また、出る杭は打たれるといったように、多数派が正常、他と違うものは排除されるという文化が根強く残っています。

多くの人と同じことをし、’平均’の範囲内にいれば、叩かれるリスクは少ない社会だと言えます。そのため、多くの人は、周りから’変だ’と思われないために、流行や社会の趨勢にのり、自身を守ろうとしています。

特に、どうでもいいこと、よくわからないこと、迷っていること等、自分の中で自分自身の答えを出せないもの、自分にとってさして重要でないことで周囲から叩かれるのは、自分にとって何もメリットはないと思いがちですので、これらのことに関しては、特に世間の風潮に流されやすい傾向があるのではないかと考えます。

今回の東京都議選で言えば、よほど政治に詳しく、政治に期待している人でなければ、各政党や候補者の公約等を調べ、理解したうえで投票をしている人というのは少ないのではないかと思います。乱暴な言い方をすれば、政治なんてどうでもいい、政治なんてよくわからないという人も投票者の中には多くいるのではないでしょうか。あくまでも私個人の感覚ではあるのですが、なんとなくで投票をしている人が多いと思います。

今回の東京都議選の選挙期間中には、豊田真由子衆議院議員の元秘書への暴言等に関する報道をはじめ、「魔の二回生」と言われる自民党の国会議員の不祥事に関する報道が相次ぎました。また、稲田朋美防衛大臣の失言というアシストもあり、不祥事だらけ自民党はいかがなものかという風潮が、各種報道により出来上がったように思います。

政治なんてどうでもいい、よくわからない人たちは、この風潮に乗って、何となく自民党はダメそうだ、民進党も存在感がないし、対抗勢力の都民ファーストの会に入れておこうという感じで投票した人も少なくないのではないでしょうか。

ここでは選挙のあり方の是非を問いたいわけではありません。今回の東京都議選の結果が、周囲に流され、周囲に合わせるということをする人が多いということを象徴しているように感じましたので例としてあげました。

流されるくせに自分らしさは欲しがる

周囲に流されず、全て自分自身の考えで物事を選択・決定している人は少ないと思います。
自分にとって重要なことは、流されず自分自身で選択・決定しているという人でも、重要度が低いどうでもいいことや、自分で選択・決定するには材料が足りないよくわからないこと、自分で選択・決定できない迷っていること等に関しては、リスクを回避するために、とりあえずのベターを求めて、周囲の流れにのって選択・決定している人が多いのではないでしょうか。

そして、流されることに慣れすぎて、流されることが当たり前となり、自分にとって重要なことですら、流されずにはいられないという状況になってはいないでしょうか。

人生つまらない」のなかで、万事は細部の積み重ねで構成されているということについて述べました。細部にはどうでもいいこと、よくわからないこと、迷っていること等も含まれます。それらをどう選択・決定するかも、今の、そして将来のあなたを構成する一部となります。流されることでできた細部がたくさんある=あなたを構成するものの中に、流されることでできた、よくわからないパーツがたくさんあるということになります。

このパーツは、あなたを構成するパーツの一つですから、あなたの思考や、人間性等にも影響します。流されるというパーツばかりがあれば、当然、流されるという思考や人間性が色濃くなります。そのため、全てのことにおいて流されやすくなります。

また、流されることで出来上がっているわけですから、自分の意思・思考・人間性・個性等がわからなくなるのも当然です。例えば、街中にでれば、流行のファッションに身を包んだ人をたくさん見ます。猫も杓子も同じような格好をして見分けがつかないですよね。それと同じことです。

流されることは空気を読んで周囲に合わせるということと同義です。
時には必要な場面もあるでしょうが、それが最重視される社会の中で生きてきたわけですから、流されることで、自分を見失い、自分らしさを求め、自分探しをする人が増えても仕方ないのかもしれません。しかし、そういう人は何か確固たる自分というのを求めても無駄だと思います。流されるのがあなたらしさなのですから。

流されても…

流されることが良いか悪いかは私にはわかりませんが、ベターを求めて周囲に流された選択・決定をしても、それが必ずしも良いほうに転ぶとは限りません。
上記のファッションの例でいえば、流行のファッションに身を包んでいても、あまりにも似合っていないため、おかしく見えることだってありますよね。
一方で、流行を追っていなくても、自分に似合うファッションの方は素敵ですね。流行は一時のもので、次のシーズンにはその服は着れないこともあるでしょう。しかし、流行に左右されない、似合うファッションであれば長く着ることができます。
周囲に流されるのは一時のことです。その時はうまくいっても、後々にそれが良かったかどうかはわからないものです。
人生は小さなことから大きなことまで選択の連続です。時に小さな選択が、後の大きなことに影響を与えることがあるように、小さな選択の際に周囲に流されて決定したことが、後のあなたの人生に大きな影響を与えることだってあり得ます。
どんなことでも、周囲に流されずに自分基準でいるほうが、自分に似合うファッションのように、自分の芯のようなものを持つことができるようになり、素敵な人間になれるかもしれません。

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