我慢なんてしたくない

我慢なんてしたくない 教訓

我慢はストレスになるというと、そんなのは当たり前と言われるかもしれません。
日本では、そのストレスになる我慢を美徳とする風潮があります。
ストレスは溜めすぎれば心身に不調をきたします。
美徳とされる我慢をして、ストレスをためて、心身を病む。
日本の社会では、心身を病むことこそが美徳なのかもしれません。

 

世の中には無意味な我慢もある

がまん【我慢】( 名 ) スル
感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。 「空腹を-する」 「 -に-を重ねる」 「もはや-がならない」

『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

 

誰もが、自分の感情や欲望のままに行動すれば、無秩序な社会になりますので、ある程度我慢というものは必要なのだと思います。

しかし、美徳とされる我慢には、理不尽なもの、無意味なものも多いです。
例えば、仕事でサービス残業をさせられるのは、理不尽な我慢を強いられていると言えます。
嫌な仕事を辞めずに我慢して続けていても、それで生活はできるかもしれませんが、人生が充実するなんてことはないので、充実した人生を求める人にとっては無意味です。

ダイエットのために甘いものを我慢するということもあります。
肥満なのであれば、健康のためにも我慢してダイエットするのは有意義かもしれません。
しかし、太っていない人が、社会に蔓延る価値観に合わせて、その少しおかしな価値観の中で自尊心を保つためにダイエットをするというのは、本人にとっては意味があるかもしれませんが、他者から見れば無意味です。

このように、その我慢に意味があるか否かは、個人の価値観によります。
各個人が、その我慢に意味を見出しているのであれば、その我慢は意味があるのでしょう。

しかし、世間一般の価値観や風潮によって強いられる我慢というのもあります。
嫌だからと言ってすぐに仕事を辞めてはいけないとか、細くなければ美しくないといったものです。
それらによって強いられる我慢というのは、それを強いられている個人が、その我慢に意味を見出せなければ無意味なものです。

そんな無意味な我慢が、多いように思います。
だから、無意味な我慢によって、精神を病むような人が増えているのかもしれません。

 

我慢はストレスになる

我慢というのは、自分の欲求を抑えることなのですから、それが意味のある我慢であっても、無意味な我慢であってもストレスになります。

人の精神衛生上は、我慢なんてできるだけしないほうが良いものなのです。

それにも関わらず、無意味な我慢まで強いられて、人は常に我慢しているのです。
だからこそ、生きづらさや閉塞感を感じているのでしょう。

 

我慢しても精神は強くならない

我慢をすると、忍耐力がつき、精神的に強くなるなどと言われることがあります。
だから我慢が美徳だとされているのでしょう。

しかし、我慢の実態は、心の活動の停止です。
ありとあらゆる欲求や感情を抑えているのですから、それを続けていれば、心の活動は停止してしまいます。

一見、我慢強く見える人でも、実際は、何も考えないよう、何も感じないようにして、適応しているように見せているだけなのです。

これを精神的に強くなったと言えるのか甚だ疑問です。

人間らしさを失い、溜まりに溜まった我慢によるストレスによって、それが暴発し、精神を病んでしまうだけです。

行き過ぎた我慢は、人の精神を強くするのではなく、人の精神を破壊する行為なのです。

 

嫌なことを我慢するくらいないら、好きなことを頑張るほうがいい

嫌だな、無意味だなと思うことを我慢しても、あなたがそれに価値を見出せなければ、その我慢によってあなたが得るものは何もありません。
精神を消耗するだけです。

時には、嫌だな、無意味だなということを我慢することから逃げ出すのだってアリです。
我慢することに使っていた労力を、好きなことを頑張ることをに費やすほうが余程有意義だと思います。

 
 

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