人を見る目に自信がある人ほど、人を見る目がない

人を見る目に自信がある人ほど、人を見る目がない 教訓

人を見る目に自信があると自負する人がいます。
言葉には出さなくても、人を見る目に密かに自信を持っている人もいることでしょう。

人を見る目に自信がある人は、人のことを批評したがる人が多いです。
そして、人の批評をしたがる人ほど、人を見る目に自信があると自負していますが、こういう人の言うことに、耳を傾けてはいけません。
人を見る目に自信がある人は、たいてい人を見る目がありません。

 

人を見る目に客観性はない

人が人を見るときに、客観性というものは存在しません。
誰もが、自分の主観に基づいて人を見て、その人がどういう人かを判断しています。
それぞれの主観に基づいて人を見ますので、その人なりの見方、つまり偏見が必ずあります。
そのため、同じ人を見ても、見る人が異なれば、その人の特性も異なります。
例えば、口数があまり多くない人を見て、”暗い”と評する人と、”落ち着いている”と評する人がいるようにです。

これは、どちらかの見方が誤っているということではありません。
見る側からすると、どちらも真実です。
同じ人でも、”暗い”と評する人から見れば、その人は暗い人ですし、”落ち着いている”と評する人から見れば、その人は落ち着いている人なのです。

それぞれのものの見方が異なるというだけのことなのです。

 

人を見る目に自信を持つ人は、異なる見方ができない

上記のように、人の特性というのは、見る人によって異なりますので、人は多様な側面を持つ生き物だと言えます。

しかし、人を見る目に自信を持っている人は、人の多様性を容認できません。

人を見る目に自信を持つということは、その見方が絶対的に正しいと思っているということです。
自分の見方が絶対的に正しいと思っているのですから、他の見方を受け入れることができず、否定します。
それぞれの見方が、それぞれにとっての真実なのですから、本来、ものの見方に誤りというのはありません。
しかし、人を見る目に自信を持ち、その見方が正しいと思い込んでいる人にとっては、他の見方を受け入れるということは、自分の見方が誤っていると認めることになるからです。

そして、自分の見方が正しいと主張するために、人のことをやたらと批評したがるのです。

 

人を見る目に自信がある人は、人を見る目がない

上記のことから、人を見る目に自信がある人は、自分の見方に固執する人と言えますので、人の多様性を認めることができません。

つまりは、自分の見方という一面だけでしか人を見ることができませんので、人を見る目がないと言えます。

一方で、人を見る目に自信がない人は、他者の見方も比較的素直に受け入れられますから、多様な視点から人を見ることができますので、人を見る目に自信がある人よりは、人の多様な側面を見ようとするという点で、人を見る目があると言えます。

ともすると、人を見る目に自信がない人は、他者の見方を受け入れやすいぶん、人を見る目に自信がある人の意見に流されがちになります。
この点は注意が必要です。
人を見る目に自信がある人の言うことが正しいのではなく、それも一つの見方にすぎないこと、自分の人の見方も誤りではないこと、多様な視点で見てこそ、その人の理解につながるということを忘れてはいけません。

 

最後に

人を見る目に自信がある人は、あたかも自分の見方が正しく、自分の見方が全てであるかのように、人のことを批評します。

これは自分が正しいと主張したいがためにやっていることで、その見方が絶対的に正しいわけでも、全てでもないのです。

人を見る目に自信がある人に流されて、人にレッテルを貼り、そのレッテルに基づく役割に閉じ込めてはいけません。(よろしけれは、「レッテルと役割」もご参照ください)

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