年の功で人のことがわかれば苦労はしない

年の功で人のことがわかれば苦労はしない 教訓

ある一定の年齢を過ぎると、”その人の顔や雰囲気を見れば、その人がどんな人かだいたいわかる”などという人が増えます。

50歳手前ぐらいの年齢になると、そういうことを言う人が多くなる印象です。

しかし、そういうことを言う人に限って、何もわかっていないと感じることも少なくないのです。

 

年の功で他人のことが理解できるか?

としのこう【年の功】
年をとって経験が豊かになること。また、その経験の力。 → 亀の甲より年の劫こう

『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

 

年の功で”その人の顔や雰囲気を見れば、その人がどんな人かだいたいわかる”という人は、それまでの人生経験の中で、様々な人に会ってきたという経験から、言っているのだとは思います。

私の知っている50歳手前の方でも、同じようなことを言われる方がいます。

人の顔や雰囲気を見れば、その人が苦労してきたか、その苦労が糧となっているかがわかり、その人が魅力のある人かどうか、すごい人かどうかがわかるのだそうです。

では、彼らの言うように、ある程度の年齢に達して、人生経験を積んでいれば、他人のことがわかるようになるのでしょうか?

答えは否です。

基本的に、人が他人のことをわかる、理解できるということはあり得ません。

人が完全に他者を理解することはできないということは、以前「他者を理解しようとしないほうがいいかもしれない」「周囲に理解されないあなたは、天才なのかもしれない」等で述べてきましたが、人は他者のことを、自分の主観、価値観で判断し理解します。

同じ人であっても、見る人が変われば、その人がどういう人かという理解は変わりますし、見られる人本人からしても、”あなたはこういう人だ”と言われても、”それは違う”ということだって往々にしてあるのです。

上記の、年の功で”その人の顔や雰囲気を見れば、その人がどんな人かだいたいわかる”という人は、自分の主観、価値観で勝手にそういう人だと思い込んで、決めつけているに過ぎないのです。

そして、その勝手な思い込みを、真実で正しいと主張するのです。

 

年の功で他人のことがわかると主張する人

年の功で他人のことがわかるのであれば、例えば、企業の採用選考などは、全て一定の年齢以上に達した人に任せていれば、間違いも失敗もないはずです。

しかし、良いと思って採用した人がイマイチだったなんてことはしばしばあります。

年の功で他人のことがわかれば、苦労しません。

それにも関わらず、年の功で他人のことがわかるという人は、年齢しか誇れるものがないのではないかと思います。

年の功で他人のことがわかるなどと言う人ほど、社会的な成功も、地位も名誉も何も得ていない印象を持ち、どちらかといえば、将来あんな風にはなりたくないなと思うような、世間一般で”負け組”と言われるような人生を送っている印象を持ちます(あくまでも個人的な印象です)。

上で書いた、私の知人で”人の顔や雰囲気を見れば、その人が苦労してきたか、その苦労が糧となっているかがわかり、その人が魅力のある人かどうか、すごい人かどうかがわかる”という人も、特に何かに秀でているとか、社会的に成功したり、何か地位を得ているということはなく、その方と同世代の人の中で比較すれば、間違いなく世間一般では”負け組”といわれるような立場です。

そのくせ、誰に対しても上から目線で身の程をわきまえていないなと感じることも少なくありません(このように書くと、個人的にその方のことが嫌いなだけではと思われるかもしれませんが、人当たりが良かったり、割とハッキリとした物言いをされるなど、個人的に好感が持てる部分も多いので、決して嫌っているということではありませんし、その方のことを否定したいだけというわけではありません)。

”その人が魅力のある人かどうか、すごい人かどうかがわかる”という言葉を見てもわかるように、年の功で人のことがわかるという方は、他者を自分の価値観で値踏みして、自分より上か下かを勝手に決めつけて、自分が優位であると思い込みたいだけなのではと感じてしまいます。

 

年の功で他人のことがわかれば苦労しない

年の功で他人のことがわかれば苦労しないのです。

でも、わからないからこそ、いくつになっても人間関係は悩みのタネになるのです。

いくつになっても、他人のことがわかったなどと勘違いしないで、わからないからこそ、他人のことを尊重し、理解しようと努める姿勢を持っていたいと思います。

そんな姿勢を持った人のほうが、人間関係は上手くいくでしょうし、魅力的で、品格も風格もある、人間性に優れた人と評価されるのではないでしょうか。

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