人間性なんて関係ない

人間性なんて関係ない 人間

最近、人間性というものが重視される風潮があるように思う。

仕事等の評価においても、人間性が評価ポイントにされることも少なくない。

私はこの人間性というものを重視する風潮があまり好きではなかったりする。

 

人間性

にんげんせい【人間性】
人間を人間たらしめる本性。人間らしさ。 「 -を失う」

『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

人間性とは、上記のような意味であるが、世間一般で使われている”人間性”という言葉は、個人の人格や性格を指している場合も多い。

ここでは、世間一般で広く用いられているであろうと思われる、個人のその人独自の人格や性格、その人らしさという意味で人間性という言葉を用いたい。

さて、よく”優れた人間性”とか、”人間性が素晴らしい”などと言われることがある。

”優れた人間性”とは、どういったものであろうか?

社会規範に従い、周囲との調和を重んじ、誰とでもうまくやれて、誰からも気に入られるような人間性のことであろうか?

確かに、これは優れた人間性と言えるのかもしれません。

しかし、それを評価するのは誰でしょうか?

それは周囲の人間です。

周囲の人間が、その人の人間性が優れていると評価すれば、優れた人間性を持つ人になりますし、劣っていると評価すれば、人間性に劣る人になります。

では、評価する周囲の人間の基準は絶対的に正しいものなのでしょうか。

そんなはずありません。

神様ではないのですから、明確で揺るぎない絶対的な評価基準を持つ人間などいません。

結局は、個人の価値観によって、勝手に優れているとか劣っていると評価されているに過ぎないのです。

個人の価値観なんて、多かれ少なかれ偏りがあるものです。

そんなものによって、優れた人間性とか、人間性が劣っていると評価されるのなんて馬鹿らしい気もします。

でも、その人の周囲の人みんなが、その人の人間性は劣っていると評価しているなんて意見もあるかもしれません。

それは、何かしらの力や影響力を持つ人、つまり、その集団なり組織のカースト上位者の評価に、カースト下位者が同調しているに過ぎません。

そうすることで、カースト下位者は自分の身を守るのです。

カースト上位者の、その人の人間性が劣るという評価に従わず、カースト下位者が、その人の人間性は優れているといったって、ほとんど影響がないどころか、カースト上位者から、あいつは人を見る目がないなんて評価を下されかねないからです。

その組織、集団内において、誰からも”良い人”と評価されている人がいるが、自分はその人が良い人だとは全然思わないなんて経験を持つ人もいるのではないかと思います。

私は、天邪鬼なだけかもしれませんが、こういう経験がけっこうあるです。

人間性の評価なんて、結局は個人の価値観によるのです。

個人の価値観によれば、同じ人であっても、見る人が変われば、優れた人間性を持つ人にも、人間性に劣る人にもなりえるのです。

そんな曖昧なものを重視すると、結局は、個人の価値観で、好きな人に高評価を与え、嫌いな人に低評価を下すということに繋がってしまいます。

だから、人間性なんてものを重視する風潮があまり好きではないのです。

 

人間性なんて関係ない

人間性なんて、見る人によって、優れた人間性にも、劣る人間性にもなるのです。

人間性なんてものは、絶対的なものではないのですから、あくまでも、ある個人から見た、その人の特性、特徴と捉え、評価するべきものではなく、尊重すべきものと考えるほうが良いのではないかと思っています。

人間性なんて、各個人による、自分の価値観に基づいた、自分勝手なものでしかないのですから、はっきり言って、人間性なんて関係ありません。

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