人は感情の生き物だが、負の感情をコントロールできないと身を亡ぼす

人は感情の生き物だが、負の感情をコントロールできないと身を亡ぼす 教訓

ここ数日、豊田真由子衆院議員が元政策秘書に暴言・暴行をはたらいたとの報道がされている。暴言等の様子が録音されたものを、テレビ等で聞いた方も多いだろう。
これを聞いて、様々な感想を持つと思うが、私は正直引いた。
秘書とはいえ、友達でも家族でもない他人に対して、あそこまで感情を露にできることに驚く。
それはさておき、豊田真由子衆院議員の批判がしたいわけではない。
一連の豊田真由子衆院議員の暴言・暴行に関する報道をみて、感情をコントロールできないと身を亡ぼすとつくづく感じたのである。

人間は感情の生き物

かんじょう【感情】
① 喜んだり悲しんだりする、心の動き。気持ち。気分。 「 -に訴える」 「 -を顔に出す」 「 -を害する」 「 -に走る」 「 -を込めて歌う」
② 〘心〙 ある状態や対象に対する主観的な価値づけ。「美しい」「感じが悪い」など対象に関するものと、「快い」「不満だ」など主体自身に関するものがある。また、一時的なものを情動、持続的なものを気分と呼び分ける場合もある。 → かんせい(感情)

以上、『大辞林・第三版』(三省堂)より引用

人の言動はこの感情に支配されている。

例えば、今、仕事を頑張っているとする。
その行動の原動力は何であろうか。
’仕事で褒められたことがうれしくて頑張っている’や’クビになるのが怖くて頑張っている’等、元を辿ると、喜びや恐怖等といった感情によるところが大きい。

人の言動は多かれ少なかれ感情によって支配されている。
完全に理性的な人など見たことがない。

感情に支配されていることが悪いということではない。
感情とはそれぐらい強力なものなのだ。

感情を表出することの是非

人は感情に支配されているが、その感情を表出することが必ずしも悪いわけではない。
あなたが誰かにプレゼントを渡したとして、無感情にありがとうと言われるよりは、喜びいっぱいでありがとうと言われたほうが、嬉しいであろう。
このようにポジティブな感情は表出されても害は少ない。
良い人間関係の形成には必要な時もあるだろう。
(ただし、自分が嫌いな人が、喜び等のポジティブな感情を表出していると、状況によってはこちらにネガティブな負の感情が生まれることもあるので、ポジティブな感情はすべて表出しても問題ないとは思わない。あくまでもケースバイケースであろう。)

一方で怒りや妬み嫉みといったネガティブな負の感情を表出された場合はどうであろうか。
怒りをぶつけられてうれしいという人は、特殊な癖を持った方以外はそういないであろう。
怒りをぶつけられて、こちらも怒りの感情をもったり、悲しみの感情をもったりと、負の感情は相手にも負の感情を生むことが多い。

ケースバイケースではあるが、概ねポジティブな正の感情は表出しても害になることは少ないが、ネガティブな負の感情の表出は、負の感情の連鎖を生むと言ってよいのではないだろうか。

負の感情をコントロールできないと身を亡ぼす

上記のように負の感情を表出すると、相手にも負の感情が起こり負の感情の連鎖を生む。
豊田真由子衆院議員のケースでみれば、豊田真由子衆院議員が元政策秘書の方に怒りの感情を表出したことで、その行き過ぎた言動から、元政策秘書の方にも怒り等の感情が生じたのだろう。その結果、今回の告発につながった。

このような特殊なケースでなくとも、我々も普段の生活の中で、しょっちゅう怒っている人など、負の感情を頻繁に表出している人に良い感情は持たないであろう。
ともすれば、そういった人は周囲から嫌われ、排除されることだってある。
だからこそ、負の感情はコントロールしなければならない。

負の感情をコントロールするのは容易ではない。
負の感情は正の感情よりもはるかに強い情動を伴うからだ。

負の感情をコントロールする方法は一つしかない。
我慢し抑え込むことだ。
’ここで負の感情をだしたら身を亡ぼすぞ’と言い聞かせるしかない。
探せばもっと効果的な方法もあるかもしれないが、なんだかんだ言っても、結局は我慢し抑え込むことは多少なりとも必要になるだろう。

時には負の感情を適切な形で表出することも必要だ。
怒っているのにそれを伝えなければ、相手がいつまでの怒らせるような言動をする場合だってあるからだ。
ただし、この場合も、負の感情を我慢し抑えたうえで、適切な形で表出しなければならない。
間違っても、感情のままに相手にぶつけるなどしてはいけない。
それは、結果的に自分自身の身を亡ぼすことになる。

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