人から嫌なことを言われて、へこむことがあります。
もちろん、言い方もありますが、受け取り方というのもあるのです。
言葉は複数の意味を持つ
言葉は発した時点で、複数の意味を持ちます。
それは、発した側の意味と、受け取る側の意味です。
言葉の意味は一つだと思いがちですが、決して一つではありません。
もちろん、辞書などで定義されている意味というのはありますが、それが正しく、その通りに相手に伝わるわけではないのです。
何か言葉を発した際に、こちらの意図とは違う意味で伝わったという経験を持つ人も少なくないと思います。
例えば、”あほ(阿呆)”という言葉があります。
あほう【阿呆・阿房】
( 名 ・形動 )
〔近世以降「あほ」とも。「阿呆」「阿房」は当て字〕
① 愚かなさま。また、愚かな行動、愚かな人。ばか。 「 -な奴」 「 -なことをする」 「 -を言う」
② 人をののしっていう語。ばか。たわけ。 「この-め」
[派生] -さ ( 名 )
『大辞林 第三版』(三省堂)より引用
辞書の定義は、上記のとおりですが、例えば関西では、いわゆるツッコミの言葉として、比較的日常でもよく耳にする言葉です。
それを言ったからといって、相手が必ずしも気分を害するというわけではありません。
言葉は、文脈やお互いの関係性、受け取り方等で、意味が変わってくるのです。
相手次第で、こちらの発した意味とは全く異なる意味で相手に伝わることもあります。
言葉はこちらが意図した通りに機能するとは限らない
だからこそ、言葉は、こちらが意図した通りに機能するとは限らないと言えます。
こちらが、何か意図をもって発した言葉でも、相手がその意図通りに受け取るとは限らないからです。
逆もまた然りです。
相手の言葉に気分を害されたと思っても、相手があなたの気分を害することを目的として発した言葉ではない可能性だってあるのです。
あなたの意図に反して、あなたの発した言葉に相手が怒って、”そんなつもりで言ったんじゃない”と言いながら、相手の言葉を自分勝手に解釈して、相手に対して怒りを向けるなんてあべこべなことをやっていることだってあります。
言葉というのは受け取り手がいて初めて機能するものであるからこそ、相手がどう受け取るかをよく考える必要があるし、自分が受け取った言葉の意味が、本当に自分が解釈したもので正しいのかも、よく考えなければいけないのかもしれません。
言葉は便利で不便
人は言葉があるから意思疎通ができますが、一方で、言葉が意志疎通を妨げ、相互不理解を生むとも言えます。
最近、人間関係が希薄なったなどと言われますが、濃厚な人間関係のためには、言葉による相互理解が不可欠です。
しかし、言葉が便利であるようで、あまりにも不便すぎるため、人は話さなくなり、人間関係が希薄になったのかもしれません。
日常生活の中で、本人にその意思はなくても、人を傷つけるかもしれない言葉を安易に発している場面をよく見かけます。
考えすぎもよくないのでしょうが、やはり言葉は慎重に選ぶべきではないでしょうか。
そして、他者から発せられた言葉だって、あなたの受け取り方次第なのです。
安易に発せられた言葉に一喜一憂しないタフさも、言葉が安易に扱われる世の中では必要なのかもしれません。
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