「怒られるうちが華」という言葉があります。
どうでもよかったら怒らない。見込みがあるから、期待されているから怒るんだよという意味かと思います。
人は無視されると、そこに存在していないのと同じなので、確かにこういわれると、一理あるような気もします。
一方で、成長を期待しているのであれば、怒ることよりも良い方法があるのではないかと思うのです。
怒られるうちが華は、怒る人の言い訳
怒るという行為は、感情を伴います。(叱る、注意する、指導する等、言葉は色々ありますが、感情を伴わずにできている人はほとんどいないでしょう)
怒るというのはネガティブな感情です。
「悪口を言うのやめたら」でも書いたのですが、ネガティブな感情からはネガティブな感情しか生まれません。
怒られたほうは、多かれ少なかれ、怒った人に対してネガティブな感情を持ちます。
そのネガティブな感情を持たせないための言い訳として、「あなたのことを考え、あなたの成長を期待しているから、怒るんだよ。あなたのことがどうでもよかったら怒らないよ。だから怒られているうちが華なんだよ」と言います。
例えば、会社の上司や学校の教師等、指導すべき立場の人が、どうでもいい見限った人だから何も言わないというのはあり得ないことです(実際にはそういった職務放棄をする無責任な輩もいるのだとは思いますが…)。何も言わないで問題が起これば、当然指導する立場の責任も問われますから。
「怒られるうちが華」という言葉は、より感情的になって怒る人ほど多用します。
自分がネガティブな感情をぶつけているという後ろめたさがあるからでしょう。
感情を伴わない、冷静かつ論理的な注意、指導であればこんな言い訳をする必要はありませんからね。
人は怒られても成長しない
基本的に人は怒られることで成長しません。
人を成長させるのは成功体験だけです。
怒られるということは、一つの失敗体験となります。
失敗体験は次の行動を起こす際に、人を委縮させます。
怒られるということを繰り返し経験すると、委縮してしまい、怒られないことが最大の目標になってしまいます。
そうすると、怒られないようにするために、怒った相手の顔色を窺い、指示を仰ぎ、意向を確認するようになります。それが繰り返されます。
自分で考えることを止めた、指示待ち人間の出来上がりです。
委縮してしまっているので、新たなチャレンジをすることもありません。
怒られる恐怖が勝ってしまい、成長する機会を自ら逃すようになってしまいます。
人は褒められて成長する
褒められるというのは成功体験です。
成功体験は人に自信をもたらし、新たなチャレンジへのモチベーションとなります。
委縮していないので、成長する機会にも積極的に挑戦できます。
褒められることで、自分の長所もわかっているので、長所を生かした言動ができるようになり、さらなる成功を積み重ね成長する可能性が高くなります。
もっと人を褒めましょう
日本は褒めるということが少ない文化だと思います。
振り返ってみると、褒められた経験よりも怒られた経験のほうが多いという人がほとんどではないでしょうか。
人のことについて話している時も、悪口ばかりで、良いところを褒めているというのを目にする機会はほとんどありません。
怒るという行為はネガティブな感情をぶつける行為ですので、怒られたほうには強いインパクトがあります。
強く注意・指導をしたい時には、怒るという行為が必要な場面もあるのかもしれません。
ただ、まともな人間で、ある程度の年齢以上であれば、感情を伴わない、冷静かつ論理的な注意、指導で十分なのではないかと思います。
そもそも怒ることには慣れている文化なので、もっと褒めるということを意識したほうが良いのではないでしょうか。
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