様々な場面で、”どこに行っても同じ”という言葉で、自分を納得させたり、人を説得したりすることがあります。
はたして、”どこに行っても同じ”という理由で納得することなんてできるのでしょうか。
どこに行っても同じではない
例えば、仕事を辞める際に上司から、”どこに行っても同じだぞ”と引き留められることがあります。
これは、一理あると言えなくもありません。
仕事が合わなくて辞めるといった場合、合わない仕事もしなければならない時もある。”どこに行っても同じだぞ”と言われます。
職場の人間関係が嫌で辞めるといった場合、次の職場の人間関係が上手くいくとは限らない。嫌な人がいるかもしれない”どこに行っても同じだぞ”と言われます。
他にも色々あるとは思いますが、いずれも一理あるとは思います。
しかし、どこに行っても同じではありません。
職場が変われば、仕事はもちろんのこと、仕事のやり方も変わりますので、全く同じということはあり得ません。合わないと思っていた仕事も、やり方によっては合うかもしれませんし、上司や同僚に恵まれ、合ったやり方を教えてもらえるかもしれません。
人間関係も、人が違うのですから、同じなんてことはあり得ません。
もちろん、また嫌な人間関係になってしまう可能性もゼロではありませんが、人が変われば、良い人間関係を作る可能性だってあります。
少なくとも、今いる嫌な人は次の職場にはいません。
全てが寸分違わず同じなんてことはあり得ませんので、どこに行っても同じではないのです。
環境が変われば、人は変わる可能性がありますので、どこに行っても同じという理由で納得させるというのは可能性を捨てるということです。
可能性を捨てて納得しろと言われて納得できる人なんているでしょうか。
その時は納得させたとしても、いつまでも不満・後悔としてくすぶり続けるのではないでしょうか。
どこに行っても同じことが間違っていることもある
場合によってはどこに行っても同じこともあります。
例えば、サービス残業が嫌なので仕事を辞めるといった場合、サービス残業なんてどこに行ってもあるのだから”どこに行っても同じだぞ”という場合です。
確かにサービス残業という点でのみ見れば、多かれ少なかれ、サービス残業がある企業もたくさんあるでしょうから、転職先にもサービス残業のがあれば、どこに行っても同じです。
しかし、この場合、サービス残業があること自体が法律違反です。
どこに行っても同じなのは、その通りなのですが、どこに行っても同じと言われている事柄自体が法律に反する間違ったことなのですから、その間違ったことを、どこに行っても同じこと、どこにいってもあるものと納得することなんてできないのです。
どこに行っても同じは妥協と我慢を強いる言葉
どこに行っても同じなんてことはないですし、どこに行っても同じことがあっても、それはその事柄自体が間違っていることも多々あります。
当然、どこに行っても同じという理由で納得することなんてできません。
どこに行っても同じという言葉は、妥協と我慢を強いる言葉でありますし、それと同時に、変化や間違ったことから抜けだすことを阻む、人を停滞させる言葉でしかないと思います。
どこに行っても同じと言われると、一理あると感じる部分もあるでしょうが、このもっともらしい言葉に騙されないよう、このもっともらしい言葉を用いて自分を騙さないように気を付けてください。
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