ゆとり世代は打たれ弱いとか、現代の若者は打たれ弱いと言われることがあります。
豆腐メンタルなどと揶揄されることもありますね。
精神論、根性論が好きな日本人らしいと言えるのかもしれません。
打たれ弱さを責められることがありますが、打たれ弱いのは悪い事なのでしょうか?
皆が打たれ強すぎるだけでは?
個人差はあるにせよ、現代の若者もゆとり世代も、そんなに打たれ弱いとは思いません。
もしかしたら、今の中高年齢層の人と比べれば、打たれ弱いのかもしれません。
それでも、過重労働で、自ら命を絶つまで、心身共に追い詰められるほど頑張る若者だっています。
それを打たれ弱いと言えるのでしょうか。
それが普通、それが当たり前という基準で物事をみると、打たれ弱いといわれるのかもしれませんが、異常な状態のことを、それが普通、それが当たり前と言って、異常が物事の基準になっていることだって、世の中にはたくさんあります。
その異常を基準とするから、異様に打たれ強い人たくさんできたのではないかとも思ったりもします。そのため、特別、打たれ弱くない人まで、豆腐メンタルと揶揄されるようになり、打たれ弱い人が増えたように感じてしまうのではないでしょうか。
叩かれれすぎて、打たれ弱くなったのでは?
人は叩かれて強くなるなどと言われることもあります。
確かにそういうこともあるかもしれません。
叩かれれば、叩かれることに耐性ができて、それを強くなったということもできるのかもしれません。
叩かれた悔しさをバネに、頑張る力を持った人を強くなったということもできるでしょう。
一方で、叩かれて弱くなる人もいます。
特殊な性癖を持った方でない限り、叩かれて喜ぶ人はいません。
叩かれるのは、痛いし、怖いし、つらいのです。
普通の人はそんなことは避けたいと思うことでしょう。
それにも関わらず、人は叩かれて強くなるのだと、叩かれ続けた結果、残るのは恐怖心です。
叩かれ続けることで、恐怖心を刷り込まれ、叩かれることを避けるために、常に人の顔色を窺っている人や、ちょっと叩かれただけで、すごく気に病んだりといった過剰な反応をしてしまう人を生み出しているのではないでしょうか。
強くするために叩きまくった結果、恐怖心を刷り込まれ委縮してしまった人を、打たれ弱いと言っているようにも感じます。
打たれ弱さは悪か?
打たれ弱いことが悪い事とは思いません。
また、打たれ強くなることが人が強くなるということでもないと思います。
人はそれぞれ違います。
それぞれにあった、人の育て方があるのではないでしょうか。
打たれ弱い人には、褒めて、自信をつけさせて、強くすればいいのではないかと思います。
”社会に出れば理不尽なことはいっぱいある”、”叩かれることはたくさんある”といい、打たれ強くならないと、社会ではやっていけないと言われます。
現実はその通りだと思います。
あまりにも打たれ弱いと、今の社会ではやっていけないことでしょう。
しかし、理不尽なことや、叩かれることがたくさんある社会というのは、少しおかしな社会であるとも思います。
そんな社会で、幸福に生きられるのでしょうか。
打たれ弱さを悪として非難するよりも、理不尽なことや叩かれることが蔓延する社会の異常性に異を唱える論調があっても良いような気がします。
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