コミュニケーションが重視される世の中ですが、何でもかんでもコミュニケーションと言いすぎな気がします。
職場で、管理的立場にある人であれば、部下とのコミュニケーションをしっかりとるように言われたことがある人も多い事でしょう。
問題が起きれば、コミュニケーション不足、人手不足の業界で人が辞めればコミュニケーション不足、馬鹿の一つ覚えみたいですね。
コミュニケーションとは?
コミュニケーション【communication】
人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。
『大辞林 第三版』(三省堂)より引用
コミュニケーションは上記のような意味ですので、例えば、喧嘩などといった、一般的にはネガティブに捉えられるものも、コミュニケーションの一つだということができます。
しかし、世間一般で言うコミュニケーションは上記のような意味だけではないと思います。
コミュニケーションをとって、空気を読んで、場を乱さず、協調など皆仲良く、お手てつないで的な意味合いも含まれるように感じます。
また、コミュニケーションは意思等の相互伝達などの意味ではなく、単に人に関わる、関西弁的な意味合いでの人に絡むという意味で捉えられているようにもみえます。
例えば、いわゆるコミュ力の高い人というのは、必ずしも意思等の伝達が上手いというわけではありません。
彼らは、人と関わることに積極的であるだけで、話している内容は、くだらない雑談ばかり、自分の意思等は伝達しないし、相手の意思等も大して理解していないが、適当にその場がうまくいくように合わせているだけという人も、けっこういます。
このように、コミュニケーションという言葉の意味が、従来の意味とは少し異なる形で用いられているように思われるのです。
コミュニケーションの目的
本来のコミュニケーションの目的は、意思等を相互伝達することで、相互理解をするということかと思います。
会社等の組織であれば、相互理解の上で、意思等のすり合わせを行い、会社の目的である利益を得るために、意思等の統一を行うということも、目的に含まれるでしょう。
しかし、コミュニケーションという言葉の意味が、本来とは異なる形で用いられていることから考えると、コミュニケーションの目的は、相互理解ではなく、相互に空気を読んで、波風立てずに、表面的に上手くいっている状態を作り出すことにあるように思います。
本来の意味でのコミュニケーションを取れば、言い争いや喧嘩に発展してもおかしくないのですが、それを良しとしない風潮がありますので、そんなことはほとんど目にすることはありません。
その結果、コミュニケーションの意味や目的が本来のものとは変わっているのではないでしょうか。
コミュニケーションは必要か?
会社などの組織では、コミュニケーション能力が必要と言われます。
求人の募集要項を見ても、求める人物像に、コミュニケーション能力のある方などと書かれていますね。
それが、どういった意味でのコミュニケーションかはわかりかねますが、本来の意思等の相互伝達および、相互理解という意味ではないように思われます。
そもそも、人と人は分かり合えない(「他者を理解しようとしないほうがいいかもしれない」「周囲に理解されないあなたは、天才なのかもしれない」等をご参照ください)のですし、会社組織において、個人の意思等は行き過ぎれば、会社の利益を得るという目的の達成のためには邪魔になることだってあります。
結局、周囲の人と波風立てずに上手くやれる人という意味で、コミュニケーションという言葉が用いられているのではないでしょうか。
さて、コミュニケーション能力は必要かということについてですが、状況等にもよるかとは思いますが、必要と言えば必要ですし、必要ないと言えば必要ありません。
ここでは、仕事の場という状況に限って述べたいと思いますが、仕事の場では、それほど必要ではないかとも思います。
本来の意思等の相互伝達と意味で考えれば、多少は意思等の相互理解が必要な部分もあるかもしれませんが、仮に意思等を理解できたとしても、それが尊重されるとは限りませんので、別にそこまで必要性を感じません。
極端な話、意思等はどうあれ、会社の目的を達するために働いてくれれば何も問題ありません。
また、周囲の人と波風立てずにという意味で考えてみると、表面的に波風が立っていなくても、陰口・悪口といった類のものはどの職場にも存在しますので、本当は波風は立っているのです。
どちらにせよ波風が立っているのであれば、業務遂行上支障がなければ、それが表面的であろうとなかろうと大して重要ではありません。
そういう意味では、この場合のコミュニケーション能力は別に必要ありません。
波風立てずにのコミュニケーション能力が高い人ほど、陰で波風立てていますし、こういう人は、大して仕事ができなくても過大評価をされがちですので、組織にとってはマイナスかもしれません。
本当は業務上必要な報連相ができて、仕事をきちんとやってくれていれば、それ以外は、話さなくても問題ないのですが、本来の意味とは異なるコミュニケーション能力が高い人が評価される風潮ができて、変にコミュニケーションが重視されるようになったように思います。
コミュニケーションの先にハラスメントがある
最近、セクハラ、パワハラなどのハラスメントという言葉がよく聞かれるようになりました。
これらのハラスメントは、コミュニケーションの先にあるものだと思います。
例えば、昔の人に言わせれば、女性のお尻をあいさつ代わりにさわるなんてこともあったようですが、これは、今でこそ立派なセクハラですが、昔はコミュニケーションの一環と捉えられていたのでしょう。
コミュニケーションは、重視すればするほどハラスメントを生むものではないかと思います。
その結果、コミュニケーションが、今のような、空気を読んで、波風たてずに、協調など皆仲良く、お手てつないで的な意味合いになっていったのかもしれません。
このままいったら、コミュニケーションなんてとらないほうが良いとなりそうですね。
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