何かをする時に、皆さんはどれくらいの出来を目指すでしょうか。
常に最高を目指すという人もいれば、そこそこで良いという人もいることでしょう。
人は無意識に手加減をする
人は何事に対しても無意識的に手加減をしてしまうものだと思います。
”火事場の馬鹿力”という言葉があるように、人は切迫した状況に置かれたり、危機に陥ると、リミッターが外れたかのように、思いもよらない力を発揮することがありますが、普段からその力を発揮していては、身体等への負担が過多になるため、無意識的にリミッターが働いているというような話を聞いたことがある人も多いかもしれません。
これはどんなことにも当てはまっていると思います。
人は、その物事に合わせて、無意識的にリミッターを働かせています。
それは、何事にも全力を出していては効率的ではないですし、自身へ掛かる負荷を調整するからです。
例えば、簡単な仕事だから、本気でやればすぐに終わるだろうと思っていた仕事に、思いの外時間がかかったという経験を持つ人もいることと思います。
決して、手を抜いたわけでも、意識的にダラダラしていたわけでもないのに上記のようなことが起こることは往々にしてあります。
これは、無意識的にリミッターが働いた所為なのです。
人は何事にも全力を尽くすなんてことはできないようになっているのだと思います。
自分でその物事のレベルや難易度等を無意識的に見定めて、それに見合った力のみしか発揮できないようになっているのではないでしょうか。
純粋に最高を目指す
人は何事にも、無意識的にリミッターを働かせてしまいます。
これは手抜きでも何でもなく、人にある機能の一つなのではないかと思いますが、だからこそ純粋に最高を目指すという意識が必要ではないかと思います。
純粋に最高を目指したからといって、リミッターが外れるわけではないのですが、最高を目指すことで、無意識的なリミッターが働いていても、その少し上の力が発揮できるのではないかと思うのです。
毎日の仕事だって、一生懸命やっているつもりでも、誰もが、無意識的にリミッターが働くことで、そこそこにやっているのです。
純粋に最高を目指せば、いつもの仕事ぶりの少し上くらいの仕事が出来るかもしれません。
人生においても、必死で生きているつもりでも、無意識のリミッターによって、そこそこの人生を送らされているのかもしれません。
純粋に最高の人生を目指せば、そこそこの日常が、以前より少し良い日常に変わるかもしれません。
全てにおいて、純粋に最高を目指す必要はありませんが、自分にとって大切なことは、意識的に最高を目指すほうが、よりよい結果を生むかもしれません。
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