他人の幸せを喜べるのは、幸福な人だけ

他人の幸せを喜べるのは、幸福な人だけ 人生

他人の幸せを喜ぶ、他人の幸福を願うということは、素晴らしい事なのだと思います。
そして、それができない人は、人間性に問題があるように見られがちです。

他人の幸せを喜べるのは、自分が幸福な人だけ

他人の幸せを喜べたり、他人の幸福を願える人というのは、今、自分自身が幸せだと言える人、幸福を感じている人だけです。

自分が不幸でも、他人の幸せを喜べるという奇特な人も、探せばいるのかもしれませんが、私は、そんな人に会ったことがありません。

基本的に人間は、誰もが、自分勝手で自己中心的な生き物です。
当然、自分の幸福が最優先事項です。

そんな人間が、自分が幸せでもないのに、他人の幸せを素直に喜ぶことなんてできるはずもありません。

他人の幸せを共感的に喜んであげるというのが美徳とされる価値観があるから、皆、他人の幸せを喜んでいるふりをしているだけです。

腹の底では、不幸になってしまえとまでは思わなくても、”なんで自分は不幸なのに他人ばかり幸せなんだ?”くらいは思っていて、素直に他人の幸せを喜んでいることはありえないでしょう。

ある知人の結婚式に参列した時に、新婦の友人が、「(新婦)って、男を見る目がないよね」と話している場面に出くわしたことがあります。
その時は、”友達の結婚式でそういうこと平気でよく言うな”と引きましたが、今では、人間ってそんなものだよねとも思います(結婚式の参列者のマナーとしては最低だとは思います)。

他人の幸せを喜んであげられる人を見たら、その人をよく観察してみてください。
間違いなく、その他人の幸せを喜んでいた人も、幸せな状態にある人です。

 

羨望、嫉妬、劣等感…

自分が幸福な状態にある人しか、他人の幸せを喜べない理由は、自分が幸せでない状態にある人が、他人の幸せを見ると、羨望、嫉妬、劣等感などの、マイナスと言われる感情が起こるからです。

他人の幸せによって、自分にマイナスの感情がもたらされているのに、それを喜ぶことなんてできるはずもありません。

人は誰もが、自分の幸福を一番に望んでいますので、他人の幸せを羨む気持ちを持つことも、他人のような幸せを手にすることができないのは、自分が劣っているからだと感じることも、普通のことで、別に悪い事ではないのですが、そのマイナスの感情が、他人の幸福を喜べない状態を作り出すのです。

一方で、自分が幸福な状態にある人は、他人の幸せを見ても、自分自身は既に幸福で満たされているのですから、これらのマイナスの感情が起こりません。
そのため、他人の幸せを素直に喜ぶことがでるのです。

 

他人の幸せを喜べなくても何の問題もない

他人の幸せを喜べないことに、罪悪感を感じる必要なんてありません。

自分自身が幸せでないと感じている人は皆そんなものです。

ある意味仕方のない事と割り切りましょう。

自分自身が幸せになれれば、他人の幸せも喜べるようになるものです。

ただ、それをあからさまに態度に出しては、責められてしまいますので、他人の幸せを喜べなくても、祝福しているふりくらいはしたほうが良いのかもしれません。

個人的には、表向きは祝福しているふりをして、陰でこそこそ言われるくらいなら、”あなたの幸せを喜べない。それは、私が幸せじゃないから”と言ってくれる人のほうが、好感が持てなくもないかなと思います。

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