開き直るのは難しい

開き直るのは難しい 人間

人が追い込まれたときに、開き直ることをすすめる意見がある。

開き直ることで、鬱っぽくならないとか、落ち込みを回避できるなどといったようにだ。

しかし、開き直るというは案外難しいものだと思う。

 

開き直る

ひらきなおる【開き直る】
( 動ラ五[四] )
急に態度を変えてきびしくなる。覚悟をきめて、ふてぶてしい態度に変わる。いなおる。 「 - ・って反問する」
[可能] ひらきなおれる

『大辞林 第三版』(三省堂)より引用

 

開き直るとは、それまでとは態度を変えて、覚悟を決めて、平然としているということであると思う。

何でもかんでも開き直るというのは、身勝手な人にしか見えないだろうと思うので、あまり、おすすめしないが、時には開き直るということも必要だと思う。

世の中には、個人の力だけではどうにもならないことがあって、どうにもならないことを、どうこう言ったって、どうにもならないのだから、そういう時は、開き直りが必要となるのだろう。

追い込まれたときに開き直るというのは、個人的には間違っていないと思うし、時には有効だと思っている。

どうにもならないことが、開き直ったからといって、どうにかなることはないが、精神的には楽になれるのかもしれない。

開き直るとは、それによってどうにもならないことが、どうにかなるというものではないが、どうにもならないからこそ、覚悟を決め、腹をくくって、どうにもならない現実を受け入れる、そして、どうにもならないことは、考えたってどうにもならないのだから、考えないというふてぶてしいと見える姿勢になるということなのかもしれない。

 

開き直るのは難しい

しかし、開き直るというのは容易ではない。

人は、誰だって、自分に都合の良い現実を求めるものだと思う。

自分に都合の良い現実を求めるということは、どうにもならないことをどうにかしたいということだ。

どうにかしたいから、あれこれ考え、じたばたと足掻くのだ。

それでもどうにもならないから、疲弊して追い込まれるのだろう。

結局、どうにもならないことを受け入れられない、受け入れる覚悟がないということなのだろう。

だからこそ、開き直るのは難しい。

どうにもならないことは、ある意味、諦めて、受け入れることが必要だが、その自分にとって都合の悪い現実を受け入れることができないから開き直れないのだろう。

どうにもならないことを、覚悟を決めて、受け入れてはじめて、開き直るということができるのかもしれない。

開き直ろうと、開き直らなかろうと、どうにもならないことはどうにもならないのだから、早めに開き直ったほうが、精神的には楽なのかもしれません。

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