日本は年功序列が重視される社会でしたし、そういった傾向は今なお残っていると思います。
しかし、年長者だから大人だとか優れているということはありえないと思います。
人は加齢だけでは成長しない
生物的には、一定の年齢までは成長し、一定の年齢を過ぎれば衰退していくというのは誰もが知っていることではないかと思います。
しかし、精神性や人間性などといった目に見えないものは、この限りではありません。
年齢を重ねれば重ねるほど、体験が増え、それによりいつまでも成長し続けることも可能です。
一般的には年齢を重ねている人ほど、精神性や人間性が熟成され、大人であったり、優れているというイメージを持ちがちですが、年長者でも稚拙だなと感じることも少なくありません。
自分自身についても、年齢の割に自分はなんてガキっぽいんだと思うことだってあるでしょう。
人は年齢を重ねれば重ねるほど精神性や人間性などといったものは、成長すると思いがちですが、必ずしもそうではないのです。
年長者は、長く生きている分、年少者より多くのことを見聞きしている可能性は高いでしょう。
しかし、多くのことを見聞きしたからと言って、そこから何も学ばなければ、多少知識が多い程度にとどまり、精神性や人間性が成熟するなんてことはないのです。
体験から学び、自分の血肉にしなければ、人は成長なんてしない
例えば、ある失敗をした人がいたとします。
その失敗を、運が悪かったと捉えた場合、何か成長するでしょうか?
失敗したという経験があるだけです。
一方で、その失敗の理由を分析し、同じ失敗を繰り返さないよう、また、次の成功つなげるよう問題点を改善したとしましょう。
この場合、失敗という経験の他に、失敗という体験から学び、自分の糧としているのですから、前者よりも成長したと言えるでしょう。
このように、人は体験から学び、それを自分の血肉としなければ、成長なんてできないのです。
年齢の割に稚拙な人というのは、何も考えていないし、何も学ぼうとしていない、何となく生きている人に多いのではないでしょうか。
年齢の割に稚拙な人ほど、年少者に偉そうに振舞い、若いからという理由で小馬鹿にしたりしますが、年少者に偉そうに振舞う人は、年上ということしか誇るものがない、空っぽの幼稚な人間です。
体験から学び、自分の考え方、精神性や人間性を形成し、新たな体験を得れば、またそこから学んで、柔軟に考え方を変え、その結果、精神性や人間性も変容するというのが、成長というのだと思いますし、それができる人を大人というのではないでしょうか。
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