他人の嫌なところは、自分にもあるという主張があります。
これが事実かどうかは、わかりませんが、わりと的を射ているのではないかと思います。
人の好き嫌いは個人の価値観でしかない
同じ人であっても、見る人が異なれば、その人の見え方は異なります。
同じ人であっても好きと言う人もいれば、嫌いという人もいるようにです。
例えば、几帳面な人がいたとしましょう。
几帳面であることを評価する価値観を持っている人であれば、その人の几帳面さは長所として捉えられ好感をもつことでしょう。
几帳面であることを神経質と捉える価値観を持っている人であれば、几帳面さは神経質という短所として捉えられ、その人を嫌うかもしれません。
几帳面さに重きを置かない人であれば、その几帳面さは、長所でも短所でもなく、特徴としては捉えられず、別の点を特徴と上げる人もいることでしょう。
このように、何をその人の特徴と捉えるかは、人により異なるのです。
人と関わっていれば、”あの人のこういうところが嫌だ”と思うことは多々あると思いますが、それはあなたがあなたの価値観に依って、自分勝手にそう感じているというだけのことです。
全ての人が、あなたと同じように感じているとは限らないのです。
あなたが見る人の嫌いなところは、あなたの特徴
あなたが感じる他人の嫌いな部分は、あなた以外の人も嫌いとは限らないことを述べました。
あなた以外の人は嫌いと感じなくても、なぜあなたは嫌いと感じてしまうのでしょうか?
それは、あなたがその嫌いと感じる部分に注目しやすいからです。
例えば、真面目な人はつまらないので嫌いだという人がいたとしましょう。
そういう人は、他人の人柄を評価する際に、真面目であるか否かに注目するのです。
そして、真面目である人は嫌いと判断し、真面目でない人を好きと判断します。
ではなぜ、その嫌いと感じる部分に注目してしまうのでしょうか?
それは、そういう価値観に直接触れた経験を持つ、真面目な人はつまらないので嫌いという価値観に触れた経験を持っているからです。
この価値観に触れるというのは、自分の価値観に影響を与えるほどのことなのですから、単にそういう価値観を持った他者が自分の周囲にいたということではありません。
あなたの友人に”真面目な人はつまらないから嫌い”という人がいたからといって、あなたがその価値観を持つなんてことはありません。
せいぜい”へぇ~。そんなものか”と思う程度です。
ここでいう価値観に触れるというのは、他者の価値観によって、あなた自身が否定的な評価を下された経験を持っているということです。
真面目な人はつまらないから嫌いという価値観を持つ他者によって、あなた自身が、真面目な人でつまらないという否定的評価を下された経験をもっているのです。
他者に否定される経験は強く印象に残ります。
強く印象に残るからこそ、真面目であるか否かに注目してしまうようになり、自分はまじめでつまらない人間ではないと否定するために、あなた自身も真面目な人はつまらないから嫌いという価値観を持つに至るのです。
だからこそ、あなたが感じる人の嫌な部分は、あなたも持っている特徴だといえるのです。
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