我々は、常に他者と自分を比較しながら生きています。
世の中には他者と比較しないという人もいるかもしれませんが、私はそんな人に会ったことはありません。
程度の差はあっても、ほとんどの人が他者と自分を比較しているのではないでしょうか。
比較することが悪いとは全く思っていません。
社会の中で生きているのですから、むしろ比較することは健全だと言っていいかもしれません。しかし、比較しながら生きるのはつらいなぁと思ったりもします。
他者と比較する理由
①自分を確認する
社会的地位であったり、自分という人間の強みや弱み、自分のおかれた状況等、自分にまつわる様々なことを確認するために、他者と比較します。
以下にあげるものも、基本的には全て、この自分を確認するためだと言えます。
②不安や恐怖の回避
以前、「不安や恐怖を活力として生きる人生はつらい」ということについて書きましたが、我々は、不安や恐怖に支配されて生きていますので、その不安や恐怖から逃れるために、自分より下の人間をみつけて安心したりします。
いわゆる下方比較というやつです。
③自分が世間一般の基準に当てはまるか確認する
人は、世間のいわゆる一般常識や一般的基準から外れると、非難され排除されますので、この世間一般の基準に自分が当てはまるかを確認するため他者と比較します。
④自分を良く見せるため
人は他者と比較して、自分が劣っていると思えば、背伸びをして自分をより良く見せようとします。そして他者を出し抜こうとするのです。
⑤言い訳のため
他者と比較して、他者は運が良かったとか、他者は家庭環境に恵まれていたと言い訳し、自分を納得させようとします。
⑥比較するのが癖になっている
我々は、幼少の頃から比較されて育っています。その中で、比較することが癖になってしまっています
他者との比較がもたらすものは劣等感
上では、他者と比較する理由を述べましたが、結局、他者との比較がもたらすのは劣等感でしかありません。
特に、もともと自尊心が低いタイプの人は、より強く劣等感を抱くこととなるのではないでしょうか。
比較というのは、他者と比べて優劣をつけるということです。
他者と比較する場合、上で述べた下方比較のような場合もありますが、どうしても上方との比較も避けられません。
下方比較をして、その時は自分が優れていると安心しても、上を見れば、自分が劣っていることなんて山ほどあります。
我々は、優れているところを褒めて伸ばすという環境ではなく、劣っているところをなくすという環境で育ってきていますので、どうしても、劣っているところに目がいきがちです。
優れているところよりも、劣っているところに注目するので、優越感よりも劣等感を抱きやすいのです。
常に比較して生きるということは、常に劣等感を感じながら生きるということです。
時には劣等感を原動力に努力するということなどもあるかとは思いますが、常に劣等感をもって、自分はダメだと思いながら生きるのはつらいものです。
他者と比較しても、あまり得るものはない
私も、他人と比較してしまう人間です。
でも、他人と比較して得るものはあまりありません。
例えば、私の友人には、数年前に仕事で独立した人がいます。仕事もそれなりに順調なようです。また、仕事で独立などはしていませんが、自分のやりたい仕事を続け、活躍の範囲をどんどん広げている友人もいます。
私はというと、やりたい仕事をしているわけでもなく、人生こんなものだろうと思ってしまっている部分もあります。
そんな私が、上記のような友人たちと比較して思うのは、やはり、うらやましいなとか、自分なんてしょーもないなといった、劣等感しかないのです。
彼らを見て、自分も頑張ろうなどと思ったりしないわけではないですが、頑張ってもすぐに自分の状況が変化するわけでもないですし、劣等感以外に特に得るものというのは見出せません。
結局、他人と比較しても、自分にとってプラスとなるようなものを得ることは少ないので、無意味だなと感じています。
だからといって、他人との比較をすぐに止めるなどといったことはできないでしょう。
しかし、他人との比較はあまり意味がないと意識することで、劣等感から、変な焦りを感じたりすることは多少なりとも少なくなりました。
他人との比較で、得るものはあまりないと知ることで、少しは自分のペースで生きられるようになるかもしれません。
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